大和田国男
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大和田 国男(おおわだ くにお、1919年12月3日[1] - 2003年3月24日)は、日本の技術者、実業家。不二越代表取締役社長や、日本プラントメンテナンス協会会長などを務めた。
人物・経歴
[編集]東京府北豊島郡滝野川町(現東京都北区)生まれ[2]。旧制小学校を首席で卒業後、東京府立化学工業学校(のちの東京都立化学工業高等学校)を経て、1941年に横浜高等工業学校(のちの横浜国立大学理工学部)機械科卒業。同年東京工業大学機械工学科へ進学[2]。
東京工業大学在学中に海軍学生となり、1943年に大学を繰り上げ卒業後、豊川海軍工廠機銃部配属。九九式二〇ミリ機銃、五式三十粍固定機銃などを担当し、大日本帝国海軍技術大尉として日本の降伏時を迎えた[2][3]。
大学同期の井村賢から、父井村荒喜が創業した不二越に来るよう誘われ[2]、1946年不二越工具技術係長に就任。1958年不二越技師長。1961年不二越取締役[2][4]。1965年不二越常務取締役[4]。1966年日本工具工業会理事長[5]。1979年藍綬褒章受章。同年から不二越取締役社長を務めた。大野耐一のトヨタ生産方式を導入し、デミング賞を受賞した[2][4]。1980年東京工業大学工学博士[6]。
1982年度白星会会長[7]。1990年日本プラントメンテナンス協会会長[8]、日本産業広告協会会長[9]。1992年蔵前工業会理事長[3]。1993年不二越相談役最高顧問。日本ベアリング工業会会長、日本設備管理学会会長、富山県経営者協会会長[4]、日本工業大学工業技術博物館後援会長なども歴任した[10]。2003年敗血症のため東京都文京区の病院で死去[11]。
著書
[編集]- 『世界かけある記 : ドクター社長の思い出』エヌデー出版 1990年
- 『工具業界に限りなき愛をこめて : 日本の機械工具の生い立ちとその発達史』商工経済新聞社出版部 1994年
- 『モノづくりよ永遠なれ : 技術屋社長の回顧録』日本プラントメンテナンス協会 2000年
脚注
[編集]- ^ 『現代物故者事典2003~2005』(日外アソシエーツ、2006年)p.124
- ^ a b c d e f 「SME LIBRARY 22 日本の工作機械を築いた人々」一般社団法人SME日本支部(国際生産技術者協会)
- ^ a b [1]蔵前工業会社団法人蔵前工業会. p. 59 (2006年).
- ^ a b c d 故大和田国男氏の作品人間]環境活性化研究会(HEARTの会)
- ^ 「日本工具工業会稗史(第一回)」日本工具工業会会報
- ^ 大和田国男「繰り返し高圧発生機の高性能化に関する開発研究」東京工業大学 博士論文(工学)、乙第934号、1980年、NAID 500000284524。
- ^ 「歴代会長」白星会
- ^ 「沿革」公益社団法人 日本プラントメンテナンス協会
- ^ 沿革年表日本BtoB広告協会
- ^ “博物館の沿革 | 博物館について | 工作機械を学ぶ工業技術博物館”. museum.nit.ac.jp. 2024年5月15日閲覧。
- ^ 「大和田国男氏死去/元不二越社長」四国新聞 2003/03/25 18:48
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