大和田神社 (松川村)
大和田神社 | |
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所在地 | 長野県北安曇郡松川村字大和田2831[注 1] |
位置 | 北緯36度25分47.9秒 東経137度50分6.9秒 / 北緯36.429972度 東経137.835250度座標: 北緯36度25分47.9秒 東経137度50分6.9秒 / 北緯36.429972度 東経137.835250度 |
主祭神 | 大己貴命、武御名方命、事代主命[3][4][5] |
社格等 | 旧村社[5] |
創建 | 不明 |
本殿の様式 | 三間社流造銅板葺、間口一間五尺 奥行二間[3][6][7] |
地図 |
大和田神社(おおわだじんじゃ)は、長野県北安曇郡松川村にある神社である。
歴史
[編集]杉林の中にあり松川村の人口の半数が氏子であるとされている。いつ創建されたかは明らかではない。古文書では1580年(天正8年)、松川道文願文(大和田賢一家文書)の中に「大明神」と記載されていて、これが当社に関しての最も古い記述とされている。
1926年(大正15年)、雨引山山頂に奥社を分霊創建した。社殿や付属の建物は何度か火災で焼失し、その都度再建されたが、1974年(昭和49年)4月に本殿、幣殿、拝殿など全ての建物を失った。翌1975年(昭和50年)9月本殿その他を再建し、今日に至っている[8]。
境内
[編集]本殿
[編集]幣殿
[編集]拝殿
[編集]神楽殿
[編集]神楽殿は祭神に舞楽を奉納する場所として建造されたもので、村内には細野神社にも有明山社にも建造されている。大和田神社の神楽殿は桁行11メートル、梁間8.5メートル、高さ8メートルの二階建で、郡内最大規模。天井裏の棟木に「慶応元年造之」と墨書されていて、松川村内では数少ない江戸時代の建物となっている。一階は全面板張りの舞台となっていて、前方両袖に太夫座が設けられており、東西南北吹き放ちになっている。二階の正面は板壁、背面は竪格子の窓となっていて、舞台を上から見下ろすことができる。柱に釘付けされている棟札によって、大工棟梁浅原勝蔵以下大工は松川村と板取村の人々で、彫師だけが池田町の森代八であったことがわかる。南向きの本殿に対し、神楽殿を北向きにして社殿との間を広く取ってあるのは、幕末から明治初期に盛んであった地芝居上演時に、野外観覧席とするためである。戦後も神楽殿は青年団活動として芝居など上演の場所でもあった。娯楽施設が全くなかった村内にあって、舞楽奉納の目的以外にも重要な役割を果していた[9]。
年間祭事
[編集]一覧
[編集]- 元旦祭(1月1日)
- 春祭(4月4日)
- 小宮祭(4月4日)
- 奥社祭(4月26日)
- 大祓祭(6月29日)
- 風祭(8月27日)
- 七五三祈願祭(11月15日)
- 新穀祭(11月24日)
- 大祓祭(12月29日)
- 越年祭(12月31日)
例大祭
[編集]かつては11月15日に行われていたが、2018年現在は9月22日、23日(秋分の日)に変更されている[要出典]。
大祭の日には神職3人によって祭事が午後2時から始まり、祭事の後には小学生の浦安の舞、若キ連の獅子舞、奉納相撲が行われる[11]。
交通アクセス
[編集]JR大糸線・信濃松川駅から直線距離で2キロメートル余り[2]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ “神社紹介 大北支部”. 長野県神社庁. 2018年3月10日閲覧。
- ^ a b “大和田神社 社務所”. Mapion. 2018年3月10日閲覧。
- ^ a b c d e 『大町市北安曇郡神社誌』、1961年4月、p.89
- ^ 『松川村誌 自然環境編、民俗編』、1988年2月、p.546
- ^ a b 『大北地方の神社と文化』、1992年9月、p.442
- ^ a b c d 『松川村誌 自然環境編、民俗編』、1988年2月、p.547
- ^ a b c d e 『松川村の文化財』、2013年2月、p.19
- ^ 松川村教育委員会 2004, p. 19.
- ^ 松川村教育委員会 2004, p. 20.
- ^ 『大町市北安曇郡神社誌』、1961年4月、p.90
- ^ 松川村誌編纂委員会 1988, pp. 559–560.
参考文献
[編集]- 松川村教育委員会『松川村文化財』2004年2月。
- 松川村教育委員会『松川村の文化財』2013年2月。
- 松川村誌編纂委員会『松川村誌 自然環境編・民俗編』松川村誌刊行会、1988年2月29日。
- 長野県神社庁北安曇支部神社誌編纂委員会『大町市北安曇郡神社誌』1961年4月。
- 大北神社誌編纂委員会『大北地方の神社と文化』1992年9月。
関連項目
[編集]- 大和田神社 - 曖昧さ回避