大国屋
本社所在地 |
日本 富山県(砺波郡井波町)1-16[1] |
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設立 | 創業1853年(嘉永6年)[1] |
業種 | 小売業 |
事業内容 | 百貨店 |
資本金 | 30万円[1] |
従業員数 | 130[1] |
大国屋 Daikokuya | |
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店舗概要 | |
所在地 |
〒047 北海道小樽市稲穂2丁目15番1号[2] |
開業日 | 1934年(昭和9年)[1] |
閉業日 | 1993年(平成5年)4月30日[3] |
正式名称 | 大国屋 |
商業施設面積 | 4,537 m²[2] |
最寄駅 | 小樽駅 |
大国屋(だいこくや)は、1934年(昭和9年)から1993年(平成5年)4月まで北海道小樽市にあった日本の百貨店である。
歴史・概要
[編集]1907年(明治40年)に創業した[4]富山県の大国屋が1918年(大正7年)に小樽市の稲穂第一大通り(現在の小樽都通り商店街)に呉服店を開いた[5]のが始まりである。1934年(昭和9年)に小樽で最初の百貨店となり、札幌市から進出してきた丸井今井や1955年(昭和30年)に河野呉服店が百貨店となったニューギンザ百貨店と共に、同じ稲穂第一大通りに位置する小樽を代表する3大百貨店として激しい競争を繰り広げた[5]。1974年(昭和49年)西武百貨店が主催する日本百貨店経営協議会に加盟。前年比18%の増加で30億円以上を売上げたが、1975年(昭和50年)4月に小樽駅前に長崎屋を核店舗とするショッピングセンター・サンポートが2倍くらいの店舗面積でオープンし、開店1か月で市内の人口の1.5倍となる30万人を集めて既存の商店街の顧客を奪ったため、1975年(昭和50年)からは売上が減少に転じた[5]。
1988年(昭和63年)に閉鎖したニューギンザ百貨店[6]や北海ホテルの跡地を再開発して丸井今井が拡張移転して核店舗となる商業施設の計画が動き出したため[7][5]、1989年(昭和64年)には西武百貨店の資本傘下に入って生き残りを図ったが[5]、その計画が実現して1990年(平成2年)9月に丸井今井が拡張移転[5][7]してさらに競争が激化した後の1993年(平成5年)4月[4]に採算の悪化を理由に[5]86年の歴史に終止符を打ち閉店した[4]。閉店後は建物が解体されて駐車場になった後、ホテル(オーセントホテル小樽)が建設された[6]。
余談だが、閉店前にHBC『テレポート6』で、中継入りでのニュースを伝えたことがある。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 百貨店年鑑 昭和16・17年度, 日本百貨店通信社, (1941-1-25), pp. 68
- ^ a b 日本商業年鑑 1972年版, 商業界, (1972), pp. 498
- ^ 『小樽市史 第10巻 社会経済編』 小樽市、2000年2月。pp380
- ^ a b c “転機の大型店 不況と規制緩和の中で〈中〉地盤沈下−消費者が百貨店離れ。高コスト体質続く。進まぬ再開発事業”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1993年2月18日)[要ページ番号]
- ^ a b c d e f g 衣川恵「小樽市のまちづくりと中心市街地活性化策」『地域総合研究』第37巻第1号、鹿児島国際大学地域総合研究所、2009年。[要ページ番号]
- ^ a b 三橋重昭「シリーズ 活き活き商店街とまちづくり 質の高い都市型観光のまちづくりを目指す 小樽市・「花銀通り・堺町本通り」」『月刊専門店』第44号-通巻697号、日本専門店会連盟、2008年12月。[要ページ番号]
- ^ a b 倒産速報 小樽開発 (Report). 東京商工リサーチ. 13 April 2010.[要ページ番号]
関連項目
[編集]- 五番館 - 札幌市に所在した百貨店で、同時期に西武百貨店傘下入り。