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大城金夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大城 金夫(おおき かねお、1923年3月13日[1] - 2003年11月12日[2])は、日本の実業家

経歴

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盲人福祉運動家大城雪造の三男として[3]福岡県に生まれる[1]1940年福岡県中学修猷館[4]を経て、1948年九州大学工学部土木工学科を卒業[1]

1948年福岡市に勤務した後、1954年防衛庁陸上自衛隊一等陸尉となる[1]

1959年日本道路公団に入り、福岡建設局長を経て、1980年理事。1984年8月前田建設工業顧問となり、1985年2月常務。1986年10月東京湾横断道路副社長となり、1995年6月代表取締役社長に就任[1]東京湾アクアラインを完成させ、1997年12月東京湾横断道路から日本道路公団に道路施設を引渡し、皇太子夫妻を招いて開通式を行った[3]。 

2003年11月12日、転移性肝がんのため東京都新宿区の病院で死去。同月18日、大城家と東京湾横断道路による合同葬が、増上寺大殿で営まれた。葬儀委員長は石井清東京湾横断道路社長、喪主は妻衣子[2]

出典

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  1. ^ a b c d e 『人事興信録第39版』(興信データ、1997年)オ-158頁
  2. ^ a b 大城金夫氏死去/前東京湾横断道路社長 四国新聞 2003/11/12(2023年9月17日閲覧)
  3. ^ a b 高柳の大城雪造と大城金夫 庄福BICサイト(2023年9月17日閲覧)
  4. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員43頁