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大堀康祐

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大堀 康祐(おおほり やすひろ、1966年3月5日[1][2] - )は、日本のゲームメーカー「マトリックス」代表取締役。元ゲームライター、元プロゲーマーうる星あんず大堀師範代の名で活動していたこともある。うる星あんずというペンネームは漫画『うる星やつら』にちなんでつけられたものである。

来歴

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高校時代の1983年初頭、ナムコ(現・バンダイナムコエンターテインメント)より『ゼビウス』が発売されると短期間のうちに攻略、日本で初めてカウンターストップとなる1000万点を達成した[3]。『ゼビウス』の発売から約1か月後にはペンネーム「うる星あんず」を名乗り、中金直彦と共に『ゼビウス1000万点への解法』というミニコミ誌を発行。『ゼビウス』のヒットも重なって週刊誌でも取り上げられた。のちに田尻智へ再版を委託した分を含めると約1万部を売り上げ、当時のミニコミ誌としては記録的な大ベストセラーとなった。サザンオールスターズの桑田佳祐も同誌を持っていたほどである[3]。そして、このミニコミ誌がきっかけとなり『ゼビウス』の制作者である遠藤雅伸との繋がりを得る。

1983年10月に発売された『マイコンBASICマガジン』(1983年11月号)の別冊付録「スーパーソフトマガジン」において、同ペンネームで『マッピー』(ナムコ)の攻略記事を執筆。翌月号から1984年2月号にかけての別冊付録では『ゼビウス』の攻略記事を執筆した。1984年2月号別冊では遠藤雅伸へのインタビューを行った記事も掲載された。

大学時代は遠藤雅伸の紹介によりナムコでアルバイトを行い、ファミコン用ソフト『ドルアーガの塔』(1985年8月発売)の開発に携わる。この開発に携わったことが本格的にゲーム制作を行っていく転機となった。大学卒業後、サイトロン・アンド・アートに在籍してファミコン用ソフト『サンリオカーニバル』(1990年11月発売)の開発において企画からマスターアップまでの全工程を担当。この後、フリーランスへ転向してメガドライブ用ソフト『ランドストーカー 〜皇帝の財宝〜』(1992年10月)を企画した。

1994年7月に有限会社マトリックスを設立(1998年1月に株式会社に改組)、『ランドストーカー 〜皇帝の財宝〜』の流れを組むプレイステーション用ソフト『アランドラ』(1997年4月発売)、『アランドラ2 魔進化の謎』(1999年11月発売)を発売した。

2016年10月、株式会社ゲーム文化保存研究所を設立、ゲーム文化の保存・研究に乗り出す。

メディア出演

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テレビ番組

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  • 仮想現実遊戯大全 第1話 ゲーム・ワールドへの招待 あなたは誰?(NHK BS2、1992年7月21日放映)
  • GTV

脚注・出典

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  1. ^ 代表挨拶|会社案内”. 株式会社マトリックス. 2017年9月5日閲覧。
  2. ^ 大堀 康祐 − 株式会社マトリックス・グループ 代表取締役”. 社長・役員の経歴. 2020年11月26日閲覧。
  3. ^ a b ログイン(1984年1月号) p.148

関連項目

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外部リンク

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