大塚常三郎
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大塚 常三郎(おおつか つねさぶろう、1880年(明治13年)3月3日[1] - 1926年(大正15年)3月21日[2])は、朝鮮総督府官僚。内大臣秘書官長。
経歴
[編集]栃木県出身。1905年(明治38年)、東京帝国大学法科大学英法科を卒業し、高等文官試験に合格した[1][3]。内務属、沖縄県警視、統監府書記官、朝鮮総督府書記官、同農商工部鉱務課長、同参事官、同内務部第二課長、同内務局長・中枢院書記官長などを歴任[1]。1925年(大正14年)、内大臣秘書官長に転じた[1]。
1926年(大正15年)3月21日、腎臓病再発により大学病院で療養中に死去、46歳[4]。死没日をもって勲二等瑞宝章追贈、正四位に叙される[5]。
脚注
[編集]- ^ a b c d 「内大臣秘書官長大塚常三郎叙勲ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A10113025100
- ^ 『官報』第4072号、大正15年3月24日。
- ^ 人事興信録 1925, p. を(お)之部(大) を九五.
- ^ 「内大臣秘書官長大塚氏死去 宿痾の腎臓病で」『朝鮮時報』朝鮮時報社、1926年3月23日、2面。2024年3月30日閲覧。
- ^ 「叙位叙勲の御沙汰」『京城日報』京城日報社、1926年3月23日、夕刊、2面。2024年3月30日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
公職 | ||
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先代 入江貫一(→欠員) |
内大臣秘書官長 1925年 - 1926年 |
次代 (欠員→)河井弥八 |
先代 赤池濃 |
朝鮮総督府内務局長 1919年 - 1925年 |
次代 生田清三郎 |
先代 関屋貞三郎 |
朝鮮総督府中枢院書記官長 1919年 |
次代 松永武吉 |