大塚敏文
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大塚 敏文(おおつか としふみ、1931年9月2日 - 2001年12月16日[1])は、日本の医学者、医師。専門は救急医学、外傷外科学、外科学。学位は、医学博士。
元日本医科大学理事長、元日本医科大学主任教授、元日本医科大学付属病院病院長。
人物
[編集]日本医科大学第一外科学教室入局後、日本医科大学付属病院救急医学科(現在の救命救急科)に勤務。
日本医科大学救急医学教室の初代主任教授に就任後は、日本医科大学付属病院病院長、日本医科大学理事長を歴任した。後任の主任教授は山本保博。
日本救急医学会理事長、救命救急士国家試験委員会委員長を務めた[2]。
2001年12月16日、急性呼吸不全のため死去[1]。
脚注
[編集]- ^ a b 『現代物故者事典2000~2002』(日外アソシエーツ、2003年)p.120
- ^ “大塚敏文氏死去/日本医科大理事長、救急医学”. 2021年12月13日閲覧。