大塚淳弘
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 埼玉県越谷市 |
生年月日 | 1959年8月19日(65歳) |
身長 体重 |
173 cm 69 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1981年 ドラフト外 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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大塚 淳弘(おおつか あつひろ、1959年8月19日 - )は、埼玉県出身の元プロ野球選手(投手)。
現役時代に所属していた読売ジャイアンツに、引退後も一貫して在籍。球団職員を経て、2018年10月から2023年まで球団の副代表を務めていた[1]。
来歴・人物
[編集]埼玉県立春日部工業高等学校の2年時に、秋季埼玉県大会で優勝。準決勝で投手戦を演じた埼玉県川越商業高等学校の仁村薫とは、後に巨人でチームメイトになった。
高校からの卒業後に、日産ディーゼル工業(現在のUDトラックス)を経て、1981年に(当時NPBで認められていた)ドラフト外で読売ジャイアンツに入団した。
入団後は一軍公式戦への登板機会がなく、3年目(1984年)の春季キャンプ中に球団職員への転向を言い渡されたことを機に現役を引退した[2]。引退後は、二軍マネージャーや営業担当を歴任。その中で1993年に「二軍(ファーム)の魅力をファンに伝えたい」ということでガイドブックの製作に乗り出すものの、二軍選手の写真がほとんどなかったことからカメラを自費で購入、自らカメラマンとなって仕事の合間を縫って二軍選手の写真の撮影を始めた。これまで撮影した写真は約16万枚にもおよぶ[3]。この写真に自ら作成した散文を添えた写真集をこれまで2冊出版している。
2018年までジャイアンツの公式女性向けサイト「Giants Venus Net」において「あおぞらを駆ける~もうひとつのジャイアンツ~」と銘打った、二軍を題材としたエッセイを連載していた。
その後は、営業企画部長や事業本部次長を経て、2018年10月に球団副代表編成担当へ就任。ゼネラルマネージャーを務めていた鹿取義隆が同月限りで退任したことを受けて、編成部門を統括する役割も担っていた。2020年12月から編成本部長(スカウト担当)を兼務していたが、2023年10月6日付で兼務を解除となり[4][1]、同年12月31日付で球団副代表を退任した[5]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]- 一軍公式戦出場なし
背番号
[編集]- 88 (1982年 - 1984年)
関連情報
[編集]写真集
[編集]- こころの夢 野球 ~読売巨人軍ファーム物語~ ベースボール・マガジン社(2006年)
- A WAT TO THE HERO ~千の花が咲く日まで~ 読売ジャイアンツ(2011年)
脚注
[編集]- ^ a b 【巨人】吉村禎章氏を阿部新体制の編成トップに抜てき 3月WBCでは侍ジャパン打撃コーチ日刊スポーツ 2023年10月5日
- ^ ファーム選手の姿追う写真集を発売 - Yomiuri Giants Official Homepage、2011.6.21
- ^ 同上
- ^ かつての主力打者(自身と同期入団の外野手)だった吉村禎章編成副本部長兼国際部長が、編成本部長(スカウト担当)の職務を引き継いでいる。
- ^ “【巨人】大塚淳弘球団副代表が今年限りで退任へ”. スポーツ報知 (2023年12月8日). 2024年1月6日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- あおぞらを駆ける ~もうひとつのジャイアンツ~ - Giants Venus Net