大宮神社 (京丹後市)
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大宮神社 | |
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鳥居と拝殿 | |
所在地 | 京都府京丹後市弥栄町野中1985 |
位置 | 北緯35度41分6.4秒 東経135度9分13.7秒 / 北緯35.685111度 東経135.153806度座標: 北緯35度41分6.4秒 東経135度9分13.7秒 / 北緯35.685111度 東経135.153806度 |
主祭神 | 大宮売神 |
社格等 | 旧村社 |
創建 | 正慶元年(1332年)9月 |
例祭 | 10月第2日曜 |
地図 |
大宮神社(おおみやじんじゃ)は、京都府京丹後市弥栄町野中1985にある神社である。
社格は旧村社。弥栄町野中、大谷、中津、田中の各集落の鎮守とされる[1]。
祭神
[編集]- 主祭神[2]
- 大宮売神(おおみやのめのかみ)
- 配神[2]
歴史
[編集]正慶元年(1332年)9月に創祀され、元禄7年(1694年)9月に再建された[2][3]。
江戸時代後期に編纂された『丹哥府志』では、野間一郷の氏神とされている[2]。
1873年(明治6年)2月には近代社格制度による村社に列せられ、1906年(明治39年)に神饌幣帛料供進社に指定された[2][3]。1931年(昭和6年)10月には創祀600年記念式典を挙行し、六百年祭祀行記念碑を建立した[2]。
境内
[編集]- 社殿
- 本殿
- 狛犬
- 鳥居
- 「明治三十七八年役紀念碑」
境内末社
[編集]-
本殿
-
狛犬
-
「明治三十七八年役紀念碑」
特色
[編集]野間城の落城後に野間村に移されたとされる。明治元年までは吉浪家と藤原家が禰宜を務め、小金山神社の神主が兼任していた。明治以降、禰宜はそのままに、神主は木村家が務めたという。吉浪家は屋号が城出であり、野間城址落城の際持ち来たり伝えるものとして、具足一足、酒樽などを継承していた。
祭礼
[編集]かつて秋の例祭には、野中からビンザサラ踊が、大谷から神楽が、中津から太刀振が奉納されていた[2]。1935年(昭和10年)の例祭では、京都大学の西田直二郎教授と柴田實教授、京都府史蹟調査委員などが調査を行った[2][3]。1963年(昭和38年)の例祭では、早稲田大学の山路興造教授が調査を行った[2][3]。1972年(昭和47年)の例祭では、名古屋の田中義広が調査を行った[2][3]。その後は諸事情で奉納行事が途絶えていた時期もあった。
文化財
[編集]選択無形文化財
[編集]- 「野中の田楽」
京丹後市指定文化財
[編集]- 「野中区宝篋印塔」
- 「大宮神社神像」
- 大宮神社には男神坐像、女神坐像、僧形坐像、如来坐像の計4躯の神像・仏像がある[9]。2006年(平成18年)3月28日に京丹後市指定文化財に指定された。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 大島暁雄 編『近畿の民俗 京都府編』三一書房、1995年。ISBN 4380955532。
- 弥栄町『弥栄町史』弥栄町、1970年。
- 野間老人クラブ『ふるさと野間』野間老人クラブ、1983年。
- 『ふるさと野間 今昔写真集』ふるさと野間を考える会、1984年。
- 京都府教育委員会『京都の田楽調査報告書』京都府教育委員会、1978年。