大屋明啓
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大屋 明啓(おおや みつよし、生年不詳 - 嘉永3年5月21日(1850年6月30日))は、江戸時代後期の旗本。幼名は右京、通称は図書。官途は従五位下遠江守。
先手鉄砲頭、天保12年(1841年)8月10日から天保13年(1842年)9月30日まで火付盗賊改方を勤めたのち、同年10月3日に佐渡奉行を拝命し、同14年5月28日に相川に着任した。佐渡奉行在任中は、知行1150石、役料1500俵100人扶持。弘化2年(1845年)4月小普請奉行となる。
嘉永元年(1848年)11月1日に長崎奉行(第102代)に就任し、翌年3月28日に着任。同年6月には地役人に学問に励むよう命を出した。嘉永3年5月21日、在任中に長崎で没した(喪を発したのは25日)。墓所は本蓮寺。
参考文献
[編集]- 牧田利平編 『越佐人物誌』野島出版 昭和47年
- 外山幹夫著 『長崎奉行』中央公論社 昭和63年