大岡忠種 (大目付)
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長16年(1611年) |
死没 | 貞享元年5月30日(1684年7月12日) |
改名 | 忠一(初名)→忠勝(ただとう)→忠種 |
別名 | 忠四郎(通称) |
戒名 | 浄譽 |
官位 | 従五位下、佐渡守 |
幕府 |
江戸幕府二の丸留守居、御徒頭、目付、 新番頭、大目付 |
主君 | 徳川家光→家綱 |
氏族 | 藤原姓大岡氏 |
父母 | 父:大岡忠世、養父:大岡忠行 |
兄弟 | 忠種、忠真 |
妻 | 正室:浅井元吉の娘 |
子 |
忠方(長男)、忠英、娘(戸田直武室)、 娘(榊原政盛室) |
大岡 忠種(おおおか ただたね)は、江戸時代前期の旗本。大岡忠行家2代当主。大岡忠世の長男。同名の孫がいる。
生涯
[編集]伯父の旗本・大岡忠行の養子となり、元和元年(1615年)、養父の死後にその遺跡を継ぐ。慶安4年(1651年)11月26日に江戸城二の丸留守居、承応2年(1653年)10月21日に御徒の頭、万治元年(1658年)9月1日に目付、万治3年(1660年)5月1日に新番頭を歴任する。
寛文10年(1670年)5月16日には旗本最高位とされる大目付に任じられた。同年12月28日、従五位下佐渡守に叙任された。
天和元年(1681年)4月13日に大目付を辞し、天和2年(1682年)12月18日に致仕。貞享元年(1684年)5月30日に死去、享年74。
出典
[編集]- 『新訂寛政重修諸家譜16』
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