大島又彦
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大島 又彦 おおしま またひこ | |
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大島又彦 | |
生誕 |
明治5年9月20日 (1872年10月22日) 日本 佐賀県 |
死没 | 1953年(昭和28年)2月24日) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1893 - 1926 |
最終階級 | 陸軍中将 |
除隊後 |
大日本体育協会会長 日本オリンピック委員会会長 |
大島 又彦(おおしま またひこ、明治5年9月20日[1](1872年10月22日)- 1953年(昭和28年)2月24日[1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。第3代大日本体育協会会長。
経歴
[編集]佐賀藩士の千々岩要之助の次男として佐賀で生まれ、陸軍中佐・大島邦秀の未亡人サダの養子となる。[1][2]。1892年(明治25年)7月、陸軍士官学校(3期)を卒業し[1]、1893年(明治26年)3月、騎兵少尉に任官[3]。
1911年(明治44年)11月、騎兵第4連隊長に就任し、1912年(大正元年)9月、騎兵大佐に昇進[2]。1913年(大正2年)8月、騎兵第26連隊長に転じた[2]。
1918年(大正7年)7月、陸軍少将に進級し陸軍騎兵学校長となる[1][2]。1921年(大正10年)7月、騎兵監に就任し、1922年(大正11年)8月、陸軍中将に進んだ[1][2]。1924年(大正13年)8月、第14師団長に親補された1926年(大正15年)3月に待命、そして予備役編入となった[1][2]。
1932年(昭和7年)のロサンゼルスオリンピックでは、馬術競技団長として参加し、西竹一が障害飛越競技個人で金メダルを獲得した。1936年(昭和11年)、大日本体育協会会長、日本オリンピック委員会会長となり、翌年まで在任した。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。
栄典
[編集]- 位階
- 勲章等
- 1895年(明治28年)11月18日 - 明治二十七八年従軍記章[8]
- 1906年(明治39年)4月1日 - 功四級金鵄勲章・勲四等旭日小綬章・明治三十七八年従軍記章[9]
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[10]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g 『日本陸軍将官辞典』147-148頁。
- ^ a b c d e f 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』103頁。
- ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』102-103頁。
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」122頁。
- ^ 『官報』第2957号「叙任及辞令」1893年5月11日。
- ^ 『官報』第3035号「叙任及辞令」1922年9月12日。
- ^ 『官報』第3684号「叙任及辞令」1924年12月2日。
- ^ 『官報』第4029号・付録「辞令」1896年12月2日。
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月11日。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
先代 岸清一 |
日本体育協会会長 第3代:1936 - 1937 |
次代 下村宏 |