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大島又彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大島 又彦
おおしま またひこ
大島又彦
生誕 明治5年9月20日
1872年10月22日
日本の旗 日本 佐賀県
死没 1953年昭和28年)2月24日
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1893 - 1926
最終階級 陸軍中将
除隊後 大日本体育協会会長
日本オリンピック委員会会長
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大島 又彦(おおしま またひこ、明治5年9月20日[1]1872年10月22日)- 1953年昭和28年)2月24日[1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。第3代大日本体育協会会長。

経歴

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佐賀藩士の千々岩要之助の次男として佐賀で生まれ、陸軍中佐大島邦秀未亡人サダの養子となる。[1][2]1892年(明治25年)7月、陸軍士官学校(3期)を卒業し[1]1893年(明治26年)3月、騎兵少尉に任官[3]

1911年(明治44年)11月、騎兵第4連隊長に就任し、1912年大正元年)9月、騎兵大佐に昇進[2]1913年(大正2年)8月、騎兵第26連隊長に転じた[2]

1918年(大正7年)7月、陸軍少将に進級し陸軍騎兵学校長となる[1][2]1921年(大正10年)7月、騎兵監に就任し、1922年(大正11年)8月、陸軍中将に進んだ[1][2]1924年(大正13年)8月、第14師団長に親補された1926年(大正15年)3月に待命、そして予備役編入となった[1][2]

1932年(昭和7年)のロサンゼルスオリンピックでは、馬術競技団長として参加し、西竹一障害飛越競技個人で金メダルを獲得した。1936年(昭和11年)、大日本体育協会会長、日本オリンピック委員会会長となり、翌年まで在任した。

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]

栄典

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位階
勲章等

脚注

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  1. ^ a b c d e f g 『日本陸軍将官辞典』147-148頁。
  2. ^ a b c d e f 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』103頁。
  3. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』102-103頁。
  4. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」122頁。
  5. ^ 『官報』第2957号「叙任及辞令」1893年5月11日。
  6. ^ 『官報』第3035号「叙任及辞令」1922年9月12日。
  7. ^ 『官報』第3684号「叙任及辞令」1924年12月2日。
  8. ^ 『官報』第4029号・付録「辞令」1896年12月2日。
  9. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1906年12月11日。
  10. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

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  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
先代
岸清一
日本体育協会会長
第3代:1936 - 1937
次代
下村宏