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大徳寺 (甲賀市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大徳寺
所在地 滋賀県甲賀市水口町本町3-3-46
位置 北緯34度58分16.485秒 東経136度10分24.146秒 / 北緯34.97124583度 東経136.17337389度 / 34.97124583; 136.17337389座標: 北緯34度58分16.485秒 東経136度10分24.146秒 / 北緯34.97124583度 東経136.17337389度 / 34.97124583; 136.17337389
山号 家松山
院号 清淨慶院
宗派 浄土宗
正式名 家松山清淨慶院大德寺
別称 淨慶寺、林慶寺
札所等 びわ湖百八霊場第83番
法人番号 6160005002739 ウィキデータを編集
大徳寺の位置(滋賀県内)
大徳寺
大徳寺
大徳寺 (滋賀県)
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大徳寺(だいとくじ)は、滋賀県甲賀市水口町にある浄土宗の寺院。山号は家松山。

歴史

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もとは禅宗で林慶寺と称した[1]水口岡山城主の保護を受け、1588年天正16年)に浄土宗の浄慶寺と改宗し、小田原の大連寺の叡誉上人を招いて開山する[2]。叡誉上人は徳川家康が幼少の時に手習いを教えた人であり、その縁で関ヶ原の戦いの後、家康の「家」、松平家の「松」の字をとって「家松山」の山号を贈られ、同時に釣鐘も受領する。また、徳川の葵紋を寺紋とし、立葵の使用も許される。1602年慶長7年)に大将軍徳川を引用した「大徳寺」の寺号を下賜される[2]1649年慶安2年)から将軍家より寺領を与えられた御朱印寺院で、甲賀郡内の浄土宗の中心的な位置を占めた[1]

水口岡山城主であった長束正家の守護仏と伝えられる阿弥陀如来立像が、水口岡山城の廃城とともに安置されることとなった[2]。また、三代住職の還誉は長束正家の遺児である[1]水口城主からの信仰も篤く、隆盛を誇ったが、火災により本堂・庫裡什物等を失っており、現在の本堂は1990年平成2年)に完成したものである[3]

札所

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  • びわ湖百八霊場第83番[4]

境内

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脚注

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  1. ^ a b c 甲賀市史 第8巻 甲賀市事典. 甲賀市. (2016年12月12日). p. 29 
  2. ^ a b c 大徳寺の歴史”. 家松山大徳寺. 2019年11月6日閲覧。
  3. ^ 再建の記”. 家松山 大徳寺. 2019年11月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年11月6日閲覧。
  4. ^ 第八十三番 家松山清浄慶院 大徳寺”. びわ湖108霊場. 2019年11月6日閲覧。