大東京 (映画館)
種類 | 事業場 |
---|---|
市場情報 | 消滅 |
略称 | 浅草大東京 |
本社所在地 |
日本 〒111-0032 東京市浅草区公園六区四号地 松竹館南側(現在の東京都台東区浅草1丁目25番1号) |
設立 | 1921年11月 |
業種 | サービス業 |
事業内容 | 映画の興行 |
代表者 | 高松豊次郎 |
主要株主 |
高松豊次郎 日活 |
主要子会社 | 新東京 |
関係する人物 |
後藤新平 牧野省三 |
特記事項:略歴 1921年11月 開業 1944年2月 強制疎開により閉館 |
大東京(だいとうきょう、1921年11月14日 開業 - 1944年2月 閉館)は、かつて東京・浅草にあった映画館である[1][2][3]。
沿革
[編集]データ
[編集]北緯35度42分45.1秒 東経139度47分35.15秒 / 北緯35.712528度 東経139.7930972度
概要
[編集]1921年(大正10年)11月14日、東京市浅草区公園六区四号地の松竹館南側(現在の東京都台東区浅草1丁目25番1号)、パテー館跡地に、映画製作プロダクション・活動写真資料研究会を率いる高松豊次郎が開業した[1]。「大東京」の命名は後藤新平である[1]。オープニングプログラムは、活動写真資料研究会製作、井上麗三・山根幹人共同脚本・共同監督作品『力の勝利』であった。同作は、井上が主演するほか、のちの映画監督稲垣浩の父・東明二郎の初映画出演作である[4]。高松は、1917年(大正6年)から日本館の支配人を務め、浅草オペラの旭歌劇団を組織、同館に続いて下谷区竹町1番地4号(現在の台東区台東)に映画館・新東京を開館した[5]。
1922年(大正11年)から1923年(大正12年)5月いっぱいまでは、帝国キネマ演芸作品の封切りフラッグシップ館であったが、同年6月1日以降は、京都の牧野省三率いるマキノ映画製作所の封切りフラッグシップ館となる。同年8月30日、同製作所の3作品、沼田紅緑監督の『大阪守護の霧隠』、衣笠貞之助監督の『金色夜叉 宮の巻』、長尾史録監督の『恋地獄』を上映したのを最後に、同年9月15日、関東大震災で首都は壊滅、浅草公園六区は悲惨な状況となって、興行はストップした。マキノのフラッグシップ館は同年10月から、同館が復興するまで成子映画劇場に変更になっている[6]。翌1924年(大正13年)1月2日には復活、同じくマキノ映画製作所の牧野・沼田共同監督による『恐怖の夜叉』で幕は開けた。同年8月には、東亜キネマのマキノ映画製作所の買収により、等持院撮影所作品のフラッグシップとなり[7]、翌1925年(大正14年)8月28日公開分からは、東亜キネマから独立したマキノ・プロダクション作品を公開した。片岡松燕プロダクション作品など、1927年(昭和2年)まではここで封切られていた。
1930年(昭和5年)3月、川端康成が随筆『浅草』に記したところによれば、当時の同館は「西洋物セコハン」、つまり洋画の旧作上映館であった。『日本映画事業総覧 昭和五年版』によれば、同年当時の同館は、当時の観客定員数は450名、興行系統は「洋画再映」、経営は高松豊次郎の個人経営、支配人は吉田子之蔵、宣伝部は高田多慶夫であった[2]。吉田子之蔵はその後、大都映画に移籍して九州支社長、北海道支社長を歴任して、大映への統合の1年前に取締役に就任した人物である[8]。高田多慶夫は小泉夏夫、浅野秀治、筈見恒夫ら一派の物書きである[9]。
1933年(昭和8年)8月ころまでには、経営が高松個人から日活の手にすでに移っており、「日活直営」という幟が映画館前に掲げられ、日活配給作品の旧作3本立ての上映館となった[注釈 1]。『映画年鑑 昭和十七年版』によれば、1942年(昭和17年)当時の同館は、観客定員数は424名、経営は日活、支配人は柿沼伊助であった[3]。第二次世界大戦末期の1944年(昭和19年)2月、公園劇場、三友館、観音劇場、オペラ館等とともに強制疎開により閉館、取り壊されて、戦後、同地に映画館は復活しなかった[10][11][12]。
戦後は商店等が同地を分割して建ち、2013年(平成25年)現在の状況も同様であり、北側・西側に接していた松竹館等はすべて浅草ROXになり、跡地は囲まれている。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ File:Picture_halls_in_Asakusa_Park_1933.jpg 大衆的な浅草六区 映画館街の雑沓
出典
[編集]参考文献
[編集]- 『日本映画年鑑 大正十三・四年』、アサヒグラフ編輯局、東京朝日新聞発行所、1925年発行
- 『日本映画事業総覧 昭和五年版』、国際映画通信社、1930年発行
- 『国際映画年鑑 昭和九年版』、国際映画通信社、1934年発行
- 『映画年鑑 昭和十七年版』、日本映画協会、1942年発行
- 『日本酒物語』、二戸儚秋、井上書房、1960年発行
- 『日本映画縦断 1 傾向映画とその時代』、竹中労、白川書院、1974年
- 『日本社会主義演劇史 明治大正篇』、松本克平、筑摩書房、1975年
- 『愛といのちの記録 1 早乙女勝元自選集』、早乙女勝元、草の根出版会、1991年7月 ISBN 487648080X
- 『東京喜劇 「アチャラカ」の歴史』、原健太郎、NTT出版、1994年10月 ISBN 487188354X
- 『浅草フランス座の時間』、井上ひさし・こまつ座、文春ネスコ、2001年1月31日 ISBN 4890361235