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大椿寺 (三浦市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大椿寺
所在地 神奈川県三浦市向ヶ崎町11-1
山号 金剛山
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 十一面観音
創建年 建久10年(1199年
開基 妙吾尼
法人番号 2021005008462 ウィキデータを編集
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大椿寺(だいちんじ)は、神奈川県三浦市にある臨済宗妙心寺派寺院

前史

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鎌倉時代鎌倉幕府歴代将軍は当地を度々訪れており、別荘も構えていた。初代将軍源頼朝も3つの別荘を持っていた。頼朝の別荘は「椿の御所」「桃の御所」「桜の御所」と呼ばれており、別荘跡地はそれぞれ大椿寺(当寺)・見桃寺本瑞寺になっている[1]

歴史

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1199年建久10年)、妙吾尼の開基である。妙吾尼は源頼朝の愛妾(そばめ)であり[2]、頼朝の死後、別荘「椿の御所」を夫の菩提を弔うための寺としたとされている[1][3]。なお、『新編相模風土記稿』には「法名大椿寺法円妙悟尼、寛喜二年(1230年)正月廿五日逝去す、宮川村に墓あり、寺記に妙悟尼は頼朝の室なりと云ふ、頼朝の夫人は政子にて事実卒年等も符合せず、こは全く鎌倉の侍女にて、後剃髪し此地に住せしならん」と記載されている[4]

かつては、寺号の通り多くの椿が植わっていたが、現在は数本しか植わってないという[3]

城ヶ島大橋建設の際、当寺の裏山から埴輪が出土している[1]

交通アクセス

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脚注

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  1. ^ a b c 神奈川県高等学校教科研究会社会科部会歴史分科会 編『神奈川県の歴史散歩 上(歴史散歩14) 川崎・横浜・北相模・三浦半島』山川出版社、2005年、269-273p
  2. ^ 岩間尹の『実録三浦党』では、『吾妻鏡』に記されている亀の前の逸話と全く同じ話が妙悟尼の話として紹介されている(松浦豊『三浦半島の史跡と伝説』暁印書館、1985年9月)。
  3. ^ a b 大椿寺三浦三十三観音霊場会
  4. ^ 蘆田伊人 編集校訂圭室文雄 補訂『新編相模国風土記稿』 第1巻 - 第6巻,索引篇(第2版)、雄山閣〈大日本地誌大系 19 - 24〉、1998年4月。ISBN 978-4639015178 

参考文献

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