大橋宵火
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大橋 宵火(おおはし しょうか、1908年(明治41年)12月1日[1] - 2002年(平成14年)9月25日[2])は、日本の俳人。本名・信次。俳人協会評議員。俳人協会名誉会員。
人物
[編集]1908年(明治41年)、滋賀県に生まれる。
1923年(大正12年)、木之本尋常高等小学校卒業と同時に、叔父大橋英次(母の弟、大橋桜坡子と号す)の斡旋により、住友銀行本店入行。桜坡子の勧めにより俳句を始め、「ホトトギス」「山茶花」に投句。若いホトトギス作家を中心として創刊された「山茶花」は結婚後、宵火の自宅が発行所となった。また桜坡子が創刊した「雨月」を姪の大橋敦子と共に支えた。住友俳句会で山口誓子と親交を持ち、神戸大学内の記念館の創立に貢献した。
2002年(平成14年)9月25日、急性肺炎のため死去[1]。孫は中西泰人。
脚注
[編集]- ^ a b 『現代物故者事典2000~2002』(日外アソシエーツ、2003年)p.125
- ^ “大橋宵火氏死去/俳人、本名信次”. 四国新聞. (2002年9月25日) 2018年10月27日閲覧。
参考文献
[編集]- 『大阪の俳人たち 6』(和泉書院、2005年) pp.121-144