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大江斉光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
大江斉光
時代 平安時代中期
生誕 承平4年(934年
死没 永延元年11月6日987年11月29日))
官位 正三位参議
主君 村上天皇冷泉天皇円融天皇花山天皇
氏族 大江氏
父母 父:大江維時、母:藤原遠忠娘
兄弟 重光、斉光、皎子
桜嶋忠信娘
為基寂照、成基、道基、尊基
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大江 斉光(おおえ の ただみつ/なりみつ)は、平安時代中期の公卿中納言大江維時の次男。官位正三位参議

経歴

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村上朝天暦8年(954年文章得業生に補せられると、天暦11年(957年対策に及第し、式部丞を経て、天徳4年(960年巡爵により従五位下摂津権守に叙任される。

応和元年(961年)春宮・憲平親王の東宮学士となる一方で、応和4年(964年権右少弁にも任ぜられる。康保3年(966年)従五位上・右少弁に昇進し、康保4年(967年)憲平親王が践祚冷泉天皇)すると、今度は春宮・守平親王の学士を務めた。

安和2年(969年)正月に讃岐権介任ぜられて弁官を去るが、守平親王の践祚(円融天皇)に伴って同年9月に学士の労によって四階昇進して従四位上に叙せられる。その後、治部卿治部卿大学頭を歴任し、天延4年(976年正四位下に昇叙される。のち散位となるが、貞元2年(977年蔵人頭に抜擢されると、貞元3年(978年)右大弁、天元2年(979年)式部権大輔と次々に栄職を占め、天元4年(981年参議兼式部大輔に任ぜられて公卿に列した。

天元5年(982年従三位に叙せられる。この頃より毎年のように式部大輔の辞任を上表するが、なかなか許されたなかった。寛和2年(986年)正月に左大弁を兼ね、11月に正三位に至る。

一条朝初頭の永延元年(987年)7月に式部大輔、10月に左大弁を辞し、11月6日に薨去享年54。

官歴

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系譜

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脚注

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注釈

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  1. ^ 一説では永延3年11月6日薨去。『北小路家譜』では永延元年11月7日とする。

出典

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  1. ^ 『弁官補任』
  2. ^ 公卿補任』による[注釈 1]