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大池忠助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大池忠助
おおいけ ちゅうすけ
生年月日 1856年5月24日
出生地 日本の旗 日本 対馬国下県郡
(現・長崎県対馬市
没年月日 (1930-02-02) 1930年2月2日(73歳没)
前職 実業家
所属政党無所属→)
公友倶楽部

選挙区 長崎県対馬選挙区
当選回数 1回
在任期間 1915年 - 1915年12月28日
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大池 忠助(おおいけ ちゅうすけ、1856年5月24日(安政3年4月21日[1][注釈 1])- 1930年昭和5年)2月2日[2])は、明治から昭和初期の実業家政治家衆議院議員

経歴

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対馬国[3]下県郡、のちの長崎県[2]下県郡厳原町[4][5](現対馬市厳原町)で生まれる。1875年(明治8年)朝鮮慶尚道釜山に永住目的で渡航した[4]

旅館業から始めて、回漕業、用達業、不動産業と事業を拡大して財産を築いた[3][6]。釜山電燈社長、釜山軌道取締役、釜山商業会議所会頭、釜山水産社長、釜山海産物組合長、釜山産業取締役、釜山繁栄会会長、亀浦銀行取締役などを務めた[2][3][4][5]

1915年(大正4年)3月の第12回衆議院議員総選挙で長崎県対馬選挙区から無所属で出馬し、早川鉄冶浦瀬済之の有力候補と激しい選挙戦を戦い、浦瀬と2票差で当選した[4][7]公友倶楽部に所属したが[2][4]同年12月、当選無効訴訟事件の確定に伴い議員を退職した[2][8]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『現代日本の政治家』公友倶楽部30頁では安政2年4月、『大正人名辞典 第3版』1956頁では安政2年。

出典

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  1. ^ 衆議院『第三十八回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1917年、6頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』120頁。
  3. ^ a b c 『大正人名辞典 第3版』1956頁。
  4. ^ a b c d e 『現代日本の政治家』公友倶楽部30-31頁。
  5. ^ a b 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』89頁。
  6. ^ 『在韓成功之九州人』70-72頁。
  7. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』47頁。
  8. ^ 『官報』第1036号、大正5年11月18日。

参考文献

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  • 高橋刀川『在韓成功之九州人』虎与号書店、1908年。
  • 細井肇『現代日本の政治家』國光社、1916年。
  • 東洋新報社編『大正人名辞典 第3版』東洋新報社、1917年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。