大沢基朝
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保3年(1718年) |
死没 | 寛政3年6月18日(1791年7月18日) |
官位 | 従四位下・侍従兼丹波守 |
幕府 | 江戸幕府 高家旗本 |
主君 | 徳川吉宗→家重 |
氏族 | 大沢氏(持明院家庶流) |
父母 | 父:大沢基隆 |
兄弟 | 基朝、近藤英用 |
子 | 直太郎、定寧 |
大沢 基朝 (おおさわ もととも)は、江戸時代中期の高家旗本。遠江国堀江領主。官位は従四位下・侍従兼丹波守。
生涯
[編集]大沢基隆の子として誕生した。
父の没後の享保15年(1730年)10月5日、寄合に列し8代将軍・徳川吉宗に拝謁した。元文元年12月16日(1737年)、奥高家見習となって、従五位下・侍従兼丹波守に叙任、元文4年(1740年)4月22日、奥高家に列する。寛保元年(1741年)、従四位下に昇進。寛保3年(1743年)7月11日、故あり職を免ぜられ、寄合となったが、9月17日許され再び出仕する。宝暦2年(1752年)4月9日、次男(嫡男)の定寧に家督を譲り隠居した。
寛政3年(1791年)6月18日、死去。享年74。火付盗賊改方の藤懸永直の罷免の原因となった。
系譜
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