大沼渉
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大沼 渉 | |
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生誕 |
1844年10月7日 下野国那須郡黒羽町 |
死没 | 1899年10月14日(満55歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1874 - 18?? |
最終階級 | 陸軍少将 |
指揮 |
近衛歩兵第1旅団長 歩兵第9旅団長 歩兵第4連隊長 |
戦闘 | 戊辰戦争 |
大沼 渉(おおぬま わたる、1844年10月7日(天保15年8月26日[1]) - 1899年10月14日)は、幕末の黒羽藩士。明治期の陸軍軍人。陸軍少将。男爵。
経歴
[編集]黒羽藩士(家老)の家に生まれる。戊辰戦争時には藩の軍監を勤め、各地を転戦した。1874年(明治7年)4月、陸軍少佐。西南戦争勃発後、遊撃歩兵第2大隊長、のちに第4旅団第3大隊長[2]。1878年(明治11年)11月、歩兵第4連隊長となり、1882年(明治15年)2月に陸軍大佐、同年3月、仙台鎮台参謀長に就任した。
1885年(明治18年)5月、陸軍少将として歩兵第9旅団長に就任。1891年(明治24年)6月、近衛歩兵第1旅団長となるが、翌年12月に休職。1894年(明治27年)7月、留守第6師団長事務取扱として復帰したが、翌年12月に休職した。
1899年(明治32年)10月14日に死去したが、同日、戊辰戦争の軍功により男爵を授けられた。墓所は、栃木県大田原市黒羽町寺宿の光巌寺。
栄典
[編集]- 位階
- 勲章等
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
男爵 大沼(渉)家初代 1899年 |
次代 大沼盾雄 |