大浦天主堂停留場
大浦天主堂停留場 | |
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道路側から見た停留場全景 | |
おおうらてんしゅどう Oura Cathedral | |
◄48 大浦海岸通 (0.2 km) (0.3 km) 石橋 51► | |
所在地 | 長崎県長崎市大浦町3番25号先 |
駅番号 | 50 |
所属事業者 | 長崎電気軌道 |
所属路線 | 大浦支線(■5号系統) |
キロ程 | 0.8 km(新地中華街起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面1線 |
乗降人員 -統計年度- |
800人/日 -2015年- |
開業年月日 | 1916年(大正5年)12月27日 |
大浦天主堂停留場(おおうらてんしゅどうていりゅうじょう、大浦天主堂電停)は、長崎県長崎市大浦町にある長崎電気軌道の路面電車停留場。駅番号は50。5号系統が停車する。
名前の通り大浦天主堂のほか、グラバー園の最寄り停留場でもある[1]。
歴史
[編集]当停留場は1916年(大正5年)に松ヶ枝橋停留場(まつがえばしていりゅうじょう)として開業した[2][3]。その後1930年(昭和5年)に弁天橋停留場(べんてんばしていりゅうじょう)に改称[2]。50年近く同名を名乗り続けたが、付近にあるバス停の名称に合わせて1980年(昭和50年)に大浦天主堂下停留場(おおうらてんしゅどうしたていりゅうじょう)へ改称した[1][4]。2018年(平成30年)には停留場の最寄り施設を明確にするため、「下」を外した大浦天主堂停留場に改称している[5]。
年表
[編集]- 1916年(大正5年)12月27日:松ヶ枝橋停留場として開業[2]。
- 1930年(昭和5年)4月:弁天橋停留場に改称[2]。
- 1980年(昭和55年)5月1日:大浦天主堂下停留場に改称[2]。
- 1999年(平成11年)3月30日:河川側のホーム(築町方面ホーム)を改築[6][7]。
- 2000年(平成12年)3月28日:道路側のホーム(石橋方面ホーム)を設置[6][7]。長崎バスのバス停との併設供用開始[8]。
- 2001年(平成13年)6月26日:行先案内放送装置を設置[6]。
- 2008年(平成20年)5月29日:電車接近表示装置を設置[9]。
- 2009年(平成21年)11月26日:構内の芝生軌道化工事が完了[10]。
- 2018年(平成30年)8月1日:大浦天主堂停留場に改称[5][11]。
構造
[編集]大浦天主堂停留場は併用軌道区間にある停留場だが[12]、軌道敷は路面より若干高い位置にあり、半ば道路から独立した専用軌道のような状態である[4]。軌道は単線で大浦川と並走する道路との間に敷かれ、ホームは軌道を挟んで両側に1面ずつ設けられている[12][13][14]。河川側にあるのが新地中華街方面行きのホーム、道路側にあるのが石橋方面行きのホーム[14]。互いの乗り場の位置は斜向かいにずれていて、新地中華街寄りから見ると河川側・新地中華街方面行きの乗り場が手前にある[14]。停留場がある区間の軌道には芝生が植えられ緑化されている[14]。
かつては河川側のホームのみで(片面ホーム)、これが新地中華街寄りから見て右側であるため、前中扉[15]の360形や500形は当停留場を使用できなかった[1][4]。利便性のため道路側にホームを新設したのは2000年(平成12年)[7]。このときホームの反対側にはバス停留所を併設し、日本で初めて路面電車とバスを一つのホームで乗り換えられるようにした[7]。ただホーム幅は狭く乗客があふれる恐れがあるため、一部防護柵を取り付けている[13]。河川側のホームは1999年(平成11年)に改良され、上屋の取り換えやホームのかさ上げ、スロープの設置がなされた[7][16]。
このほか、停留場には案内放送装置や電車接近表示装置を備える。
利用状況
[編集]長崎電軌の調査によると1日の乗降客数は以下の通り。
周辺
[編集]一帯には大浦天主堂やグラバー園のほか観光施設が点在し、当停留場を利用する観光客も多い[4]。
- 長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館
- 松翁軒
- 四海樓本店
- 長崎あじさい病院
- 祈りの丘絵本美術館
- 旧羅典神学校
- 軍艦島デジタルミュージアム
- 東山手十二番館
- 大浦警察署
- 長崎バス「大浦天主堂下」バス停
- 昭和会病院
隣の停留場
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d 田栗 & 宮川 2000, p. 67.
- ^ a b c d e 今尾 2009, p. 57.
- ^ 100年史, p. 126.
- ^ a b c d 田栗 2005, p. 95.
- ^ a b “電停名称変更のお知らせ”. 長崎電気軌道 (2018年3月30日). 2018年4月4日閲覧。
- ^ a b c 田栗 2005, p. 156.
- ^ a b c d e 100年史, p. 123.
- ^ 100年史, p. 198.
- ^ 100年史, p. 201.
- ^ 100年史, p. 202.
- ^ 浅野孝仁 (2018年7月31日). “長崎電気軌道:13カ所停留場、新名称に 35年ぶり、あすから”. 毎日新聞(地方版・長崎) (毎日新聞西部本社): p. 23
- ^ a b 100年史, p. 130.
- ^ a b 川島 2007, p. 123.
- ^ a b c d 川島 2013, p. 49.
- ^ 前中扉の車両は運転席の左側にしか降車扉がない。
- ^ 田栗 & 宮川 2000, p. 69.
- ^ 100年史, p. 125.
参考文献
[編集]- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 12 九州沖縄、新潮社、2009年。ISBN 978-4-10-790030-2。
- 川島令三『全国鉄道事情大研究』 九州篇 2、草思社、2007年。ISBN 978-4-7942-1562-8。
- 川島令三『四国・九州ライン 全線・全駅・全配線』 第5巻 長崎・佐賀エリア、講談社〈【図説】 日本の鉄道〉、2013年。ISBN 978-4-06-295161-6。
- 田栗優一『長崎「電車」が走る街今昔』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年。ISBN 4-533-05987-2。
- 田栗優一、宮川浩一『長崎のチンチン電車』葦書房、2000年。ISBN 4-7512-0764-4。
- 長崎電気軌道株式会社『長崎電気軌道100年史』2016年。