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大浦天主堂停留場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大浦天主堂下駅から転送)
大浦天主堂停留場
道路側から見た停留場全景
おおうらてんしゅどう
Oura Cathedral
48 大浦海岸通 (0.2 km)
(0.3 km) 石橋 51
所在地 長崎県長崎市大浦町3番25号先
北緯32度44分10.53秒 東経129度52分15.09秒 / 北緯32.7362583度 東経129.8708583度 / 32.7362583; 129.8708583 (大浦天主堂停留場)
駅番号 50
所属事業者 長崎電気軌道
所属路線 大浦支線(5号系統
キロ程 0.8 km(新地中華街起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面1線
乗降人員
-統計年度-
800人/日
-2015年-
開業年月日 1916年大正5年)12月27日
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大浦天主堂停留場(おおうらてんしゅどうていりゅうじょう、大浦天主堂電停)は、長崎県長崎市大浦町にある長崎電気軌道路面電車停留場。駅番号は505号系統が停車する。

名前の通り大浦天主堂のほか、グラバー園の最寄り停留場でもある[1]

歴史

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当停留場は1916年大正5年)に松ヶ枝橋停留場(まつがえばしていりゅうじょう)として開業した[2][3]。その後1930年昭和5年)に弁天橋停留場(べんてんばしていりゅうじょう)に改称[2]。50年近く同名を名乗り続けたが、付近にあるバス停の名称に合わせて1980年(昭和50年)に大浦天主堂下停留場(おおうらてんしゅどうしたていりゅうじょう)へ改称した[1][4]2018年(平成30年)には停留場の最寄り施設を明確にするため、「下」を外した大浦天主堂停留場に改称している[5]

年表

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構造

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大浦海岸通側より見た停留場。線路の左側、電車が止まっているのがバス停と共用の石橋方面行き、右側が新地中華街方面行きのホームである。
大浦川と道路の間に敷かれた単線の軌道

大浦天主堂停留場は併用軌道区間にある停留場だが[12]、軌道敷は路面より若干高い位置にあり、半ば道路から独立した専用軌道のような状態である[4]。軌道は単線で大浦川と並走する道路との間に敷かれ、ホームは軌道を挟んで両側に1面ずつ設けられている[12][13][14]。河川側にあるのが新地中華街方面行きのホーム、道路側にあるのが石橋方面行きのホーム[14]。互いの乗り場の位置は斜向かいにずれていて、新地中華街寄りから見ると河川側・新地中華街方面行きの乗り場が手前にある[14]。停留場がある区間の軌道には芝生が植えられ緑化されている[14]

かつては河川側のホームのみで(片面ホーム)、これが新地中華街寄りから見て右側であるため、前中扉[15]360形500形は当停留場を使用できなかった[1][4]。利便性のため道路側にホームを新設したのは2000年(平成12年)[7]。このときホームの反対側にはバス停留所を併設し、日本で初めて路面電車とバスを一つのホームで乗り換えられるようにした[7]。ただホーム幅は狭く乗客があふれる恐れがあるため、一部防護柵を取り付けている[13]。河川側のホームは1999年(平成11年)に改良され、上屋の取り換えやホームのかさ上げ、スロープの設置がなされた[7][16]

このほか、停留場には案内放送装置や電車接近表示装置を備える。

利用状況

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長崎電軌の調査によると1日の乗降客数は以下の通り。

  • 1998年 - 2,259人[1]
  • 2015年 - 800人[17]

周辺

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一帯には大浦天主堂グラバー園のほか観光施設が点在し、当停留場を利用する観光客も多い[4]

隣の停留場

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長崎電気軌道
大浦支線(5号系統)
大浦海岸通停留場(48) - 大浦天主堂停留場(50) - 石橋停留場(51)

脚注

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  1. ^ a b c d 田栗 & 宮川 2000, p. 67.
  2. ^ a b c d e 今尾 2009, p. 57.
  3. ^ 100年史, p. 126.
  4. ^ a b c d 田栗 2005, p. 95.
  5. ^ a b 電停名称変更のお知らせ”. 長崎電気軌道 (2018年3月30日). 2018年4月4日閲覧。
  6. ^ a b c 田栗 2005, p. 156.
  7. ^ a b c d e 100年史, p. 123.
  8. ^ 100年史, p. 198.
  9. ^ 100年史, p. 201.
  10. ^ 100年史, p. 202.
  11. ^ 浅野孝仁 (2018年7月31日). “長崎電気軌道:13カ所停留場、新名称に 35年ぶり、あすから”. 毎日新聞(地方版・長崎) (毎日新聞西部本社): p. 23 
  12. ^ a b 100年史, p. 130.
  13. ^ a b 川島 2007, p. 123.
  14. ^ a b c d 川島 2013, p. 49.
  15. ^ 前中扉の車両は運転席の左側にしか降車扉がない。
  16. ^ 田栗 & 宮川 2000, p. 69.
  17. ^ 100年史, p. 125.

参考文献

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  • 今尾恵介(監修)日本鉄道旅行地図帳』 12 九州沖縄、新潮社、2009年。ISBN 978-4-10-790030-2 
  • 川島令三全国鉄道事情大研究』 九州篇 2、草思社、2007年。ISBN 978-4-7942-1562-8 
  • 川島令三『四国・九州ライン 全線・全駅・全配線』 第5巻 長崎・佐賀エリア、講談社〈【図説】 日本の鉄道〉、2013年。ISBN 978-4-06-295161-6 
  • 田栗優一『長崎「電車」が走る街今昔』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年。ISBN 4-533-05987-2 
  • 田栗優一、宮川浩一『長崎のチンチン電車』葦書房、2000年。ISBN 4-7512-0764-4 
  • 長崎電気軌道株式会社『長崎電気軌道100年史』2016年。 

関連項目

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