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大石光之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大石 光之助(おおいし こうのすけ、1896年明治29年)9月9日[1] - 1971年昭和46年)2月8日[2])は、日本実業家静岡新聞社初代社長[3]静岡放送創設者。

人物

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静岡県静岡市出身[2][4]。浅吉の三男[1]、あるいは磯吉の男[5]。上京して徳富蘇峰書生になる[4]。徳富の国民新聞社に入社[2]。欧米業界を視察する[1]

経営不振に陥っていた静岡民友新聞社の再建にあたる[2]1928年に総支配人となる[2]1941年に戦時新聞統合により県下6紙を統合して「静岡新聞」が創立されると初代社長に就任[4]

放送界にも進出し、1952年に静岡放送を設立、社長となる[4]1971年駿府博物館設立。趣味は庭球[1]家庭菜園[5]。住所は静岡市紺屋町[1]、東京都目黒区平町[5]

家族・親族

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大石家
  • 妻・マス子[1]あるいはマス[3]栃木田村達三郎の四女)[1]
  • 嗣子・益光[1](1926 - 1997、千葉医科大学[3]、婦人科医[6]、静岡新聞社2代目社長)
  • 長女[7]
  • 二女(野口英史の妻))[7]
  • 三女(松井純の妻)[7]
  • 孫・[8](静岡新聞社4代目社長、静岡放送社長、松井純の長男、母方の大石家に養子)
親戚
  • 孫・野口英一(山梨日日新聞社社長)[7]
  • 娘婿・野口英史(山梨日日新聞社社長)[7]
  • 娘婿・松井純(静岡新聞社3代目社長[9]、静岡放送会長)

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』静岡13頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月5日閲覧。
  2. ^ a b c d e 大石 光之助とはコトバンク。2021年3月5日閲覧。
  3. ^ a b c 『追想 大石益光』大石益光年譜(大正十五年 - 平成九年)。
  4. ^ a b c d コラム「日本の新聞人」、信念の新聞経営者 - 静岡新聞の発展に貢献 大石光之助(上智大学名誉教授 春原昭彦)、ニュースパーク(日本新聞博物館)公式サイト。
  5. ^ a b c 『人事興信録 第15版 上』オ21頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月5日閲覧。
  6. ^ 昭和28年卒同窓会千葉大学医学部ゐのはな同窓会報69号、1979年6月20日。
  7. ^ a b c d e 大石家(静岡新聞社社長・大石剛・大石益光の家系図)閨閥学
  8. ^ W不倫の静岡放送社長、ふしだらな女性関係と超パワハラ…“地方メディアの雄”の呆れた内情ビジネスジャーナル。2021年3月7日閲覧。
  9. ^ 苦言呈した記者は左遷ーー「静岡新聞」で社員の不祥事続出!?アクセスジャーナル、2012.8.14

参考文献

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  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第15版 上』人事興信所、1948年。
  • 松井純『追想 大石益光』静岡新聞社、1998年。

関連項目

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