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大石熊吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大石熊吉

大石 熊吉(おおいし くまきち、元治元年5月13日[1]1864年6月16日) - 昭和20年(1945年5月11日[2])は、日本の衆議院議員憲政本党)。

経歴

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佐賀藩士大石良英の二男として生まれる[3]藩校弘道館で学ぶが、東京に出て神田共立学校大学予備門で学んだ[3]。その後大隈重信の知遇を得、1884年明治17年)に大隈の勧めでアメリカ合衆国ラトガース大学に留学した[3]。ラトガーズ大学で学位を得た後、1889年(明治22年)にニューヨーク大学に入り、1892年(明治25年)に哲学博士号を得た[3]

帰国後は『報知新聞』記者や東京専門学校(現在の早稲田大学)講師を務めた[3]1897年(明治30年)、大隈が農商務大臣に就任するとその秘書官となり、翌年に大隈が内閣総理大臣に就任にすると秘書官となった[3]

1902年(明治35年)、第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第9回衆議院議員総選挙でも再選を果たした。

その他に大日本炭鉱株式会社監査役を務めた[1]。その後は東京市会議員に選出された[4]

訳書

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  • ノリス・A・ブリスコ『現代商業経済』(1916年、良書刊行会)
  • 英国統一党(保守党)本部編『社会主義者のバイブル』(1921年、広文館)
  • フランスクリン・ヘンリー・ギディングス『国家の権義』(1922年、広文館)

脚注

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  1. ^ a b 『人事興信録』
  2. ^ 衆議院・参議院編『議会制度七十年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1962年。
  3. ^ a b c d e f 『新選代議士列伝』p.6
  4. ^ 篠田皇民編『東京府市名誉録』東京人事調査所、1925年、p.46。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第2版』人事興信所、1908年。 
  • 『新選代議士列伝』金港堂、1902年。