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大石良昭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大石 良昭(おおいし よしあき、寛永17年(1640年) - 延宝元年9月6日1673年10月15日))は、江戸時代前期の武士赤穂事件で有名な大石良雄の父。通称は権内(ごんない)。

赤穂藩浅野家筆頭家老大石良欽の嫡男として誕生。母は水戸藩士鳥居忠勝鳥居元忠の四男)の娘。

明暦3年(1657年)10月4日には岡山藩池田家の重臣池田由成の娘くまと婚約。万治元年(1658年)2月20日に正式に結婚する。くまとの間に万治2年(1659年)に長男大石良雄、万治3年(1660年)に次男専貞寛文11年(1671年)に三男大石良房の三子を儲けた。

浅野家からは大石家の家禄とは別に合力米200石を支給された。父の死後には赤穂藩の筆頭家老になるはずだったが、赤穂藩の大坂屋敷に勤めていた延宝元年(1673年)9月6日、父・良欽に先立って同地で死去。享年34。大坂の圓通院に葬られた。法名は本務院英巌玄雄。そのため、長男・良雄は、父・良欽の養嗣子となって大石家の家督を継ぐことになる。

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