大石鍈吉
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大石 鍈吉(おおいし えいきち、1873年(明治6年) - 1947年(昭和22年))は、日本の技術者、大日本帝国海軍技師。初代海軍省海軍艦政本部海軍技術研究所研究部長。
人物・経歴
[編集]1893年東京工業学校(のちの東京科学大学)機械工芸部機械科卒業。1896年大日本帝国海軍横須賀鎮守府兵器工場海軍技手に着任。1900年からイギリスに出張し、1904年に帰国すると海軍技師に就任[1]。1916年海軍経理学校教官兼任[2]。1917年造兵廠製造部長。1923年に海軍艦政本部に海軍技術研究所が設立されると、同研究所の初代研究部長に就任し、海軍艦政本部技術会議会員も兼務した[1]。1924年依願退官、従四位[3]、日本光学工業取締役。1933年退任[4]。1935年蔵前工業会理事長。1937年退任[5]。
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 海軍の科学技術開発組織,
河村豊『旧日本海軍の電波兵器開発過程を事例とした第2次大戦期日本の科学技術動員に関する分析』 東京工業大学〈博士 (学術) 乙第3565号〉、2001年。CRID 1110001310242258688 。 - ^ 敍任及辭令 / - / - / 大石鍈吉(海軍省)/p444官報. 1916年06月20日
- ^ 「元海軍技師大石鍈吉特旨叙位ノ件」アジア歴史資料センター
- ^ 日本光学工業(株)『50年の歩み』(1967.10)渋沢社史データベース
- ^ “蔵前工業会創立100周年記念特集” (PDF). 社団法人蔵前工業会. p. 59 (2006年). 2019年11月23日閲覧。
- ^ 「本山漸」人事興信録データベース(名古屋大学)
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