大禿
大禿(おおかぶろ)は、鳥山石燕の妖怪画集『今昔画図続百鬼』に描かれている妖怪。
概要
[編集]屏風よりも背が高く、菊の模様の振袖を着た禿頭の人物の姿が描かれている。禿(かむろ・かぶろ)とは遊里で働いている遊女見習いの少女のこと。絵に添えられた解説には「伝へ聞(きく)彭祖(はうそ)は七百余歳にして猶(なほ)慈童(じどう)と称す是(これ)大禿にあらずや日本にても那智高野には頭(かうべ)禿(かぶろ)にて歯豁(はあばら)なる大禿ありと云しからば男禿ならんか」とある。
彭祖(ほうそ)とは、「慈童」または「菊慈童」の名で広く知られている仙人で、菊の露を飲んで不老不死となったとされる。一般的には八百歳[1]とされることが多いが、能『菊慈童』では「七百歳」という語句が用いられており、石燕が大禿に付した文は、画題としても親しまれていた『菊慈童』を踏まえたパロディとみることができる[2]。「頭禿(こうべかぶろ)にて歯豁(はあばら)なる」という表現は、毛や歯が抜け落ちた様から老人を指す言葉「頭童歯豁」(とうどうしかつ)と同義で、「中国の仙人には菊慈童のように七百歳以上のこどもがいる、これは(妖怪の)大禿だろうか。日本には那智山(青岸渡寺)や高野山(金剛峰寺)には頭がはげ歯が抜け落ちたよぼよぼの大きなこどもがいる、とすればこの(妖怪の)大禿は、男の禿であろうか」との意味になるが、具体的に大禿がどのような妖怪なのかは見た目以外はよくわからない。
石燕の描く妖怪には、実際に存在する妖怪として伝承されていたものではなく風刺や絵解き遊びをこめて創作されたものも多いが、この大禿もそのような例であると考えられている[3]。近藤瑞木は、当時絵手本として用いられていた『画筌』での慈童の顔や髪の描かれ方の相似から、菊慈童を模していることが意識的に絵に組み込まれている可能性を指摘しており、この「大禿」は人々によく知られていた菊慈童の「絵」を遊里の禿に見立てて描いたもので、文中には山寺の老僧たちをその対比として書き入れたのであろう[2]と考察している。
多田克己は、大禿の着物に描かれている菊は肛門や男色を示す隠語である点から、男色の破戒僧を風刺して創作されたものであろうとの説をあげている[4]。
昭和・平成以降の解説
[編集]昭和後期以降、大きな顔の妖怪に「大かむろ」という名称が用いられており、石燕の「大禿」との混用が起こっているが、両者に直接関係は無く別々の妖怪である[3]。
新人物往来社『歴史読本』 臨時増刊「異界の日本史 鬼・天狗・妖怪の謎」(1989年)では、江戸時代に広島県御手洗の待合茶屋・若胡子屋に現れたという禿(かむろ。妓楼で働く若い女郎)が化けて出た話を紹介する記事に石燕の「大禿」の挿絵が用いられている[5]が、伝承に直接の関係は無い。
脚注
[編集]- ^ 『神仙伝』では殷王朝の時代に「七百六十七歳」であったが老いてはいなかった、とある。
- ^ a b 近藤瑞木「石燕妖怪画私注」『人文学報』第462号、首都大学東京都市教養学部、2012年3月、87頁、NAID 120005090367。
- ^ a b 村上健司編著『日本妖怪大事典』角川書店〈Kwai books〉、2005年、58頁。ISBN 978-4-04-883926-6。
- ^ 多田克己『百鬼解読』講談社〈講談社文庫〉、2006年、107-114頁。ISBN 978-4-06-275484-2。
- ^ 加藤恵(著)、野村敏晴編(編)「県別日本妖怪事典」『歴史読本 臨時増刊』第34巻24号(通巻515号)、新人物往来社、1989年12月、327頁、NCID AN00397353。