大竹富江
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大竹 富江(おおたけ とみえ、1913年〈大正2年〉11月21日[1] - 2015年〈平成27年〉2月12日)は、日本からブラジルに帰化した美術家。
長男は建築家のルイ・オオタケ、次男はサンパウロ州文化長官を務めたリカルド・オオタケ[2]。
経歴
[編集]京都府京都市で材木商の子として生まれる[3]。富江は6人兄弟の末子。
京都府立第二高等女学校(現・京都府立朱雀高等学校)中途退学[4]、同志社大学文学部卒業[5]。1936年 ブラジルに渡る。現地の日本人と結婚[6]。1951年 日本に一時帰国する。
1952年 絵画の制作を始める[3]。1968年 - ブラジル国籍取得[3]。2015年2月12日 気管支肺炎による敗血症性ショックのため入院先のサンパウロの病院で死去[7][3]。
受賞
[編集]脚注
[編集]- ^ 大竹富江氏の生誕100年 国内各地で記念個展を開催 サンパウロ新聞 2013年8月6日
- ^ 大竹富江さん死去 101歳ブラジル移住 日刊スポーツ 2015年2月13日
- ^ a b c d 訃報:大竹富江さん101歳=芸術家 毎日新聞 2015年2月13日
- ^ 誰の背中も追わず、ブラジルで道切り開く 大竹富江さん 日本経済新聞 2013年11月17日
- ^ ハイカラさん海を渡る=移民画家 大竹富江の一世紀=(1)=自由を求めた明治の女性=「1年だけ」母との約束 ニッケイ新聞 2013年11月20日
- ^ ハイカラさん海を渡る=移民画家 大竹富江の一世紀=(2)=運命の分岐点は結婚出産=大事なのはファミリア ニッケイ新聞 2013年11月22日
- ^ ブラジル在住の芸術家、大竹富江さん死去 101歳 朝日新聞 2015年2月13日付
外部リンク
[編集]- ウィキメディア・コモンズには、大竹富江に関するカテゴリがあります。