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大行社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

大行社(たいこうしゃ)は、指定暴力団稲川会傘下の右翼団体。稲川会の傘下にあるために右翼標榜団体(任侠右翼)と見做されている。

来歴

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大正13年(1924年)6月11日 清水行之助後藤新平のほか、有力諸賢の後援を得て設立。戦後永らく休眠状態にあったが、1981年岸悦郎が旧知の仲である清水から要請があり、暫定的に会長代行となった。結成式には稲川会初代会長の稲川角二住吉連合代表の堀政夫が列席した。岸は公式には堅気でありながら稲川会長との縁は切れないとして、任侠右翼であることを認めていた。

情勢

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  • 本部 東京都港区芝4-5-12 三田ハイツ1004
  • 機関紙『大吼』
  • 構成員約1800人
  • 全国各所に「連合」「支部」「支局」「塾」を置く

歴代会長・役員

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.組織委員長(植田信春) .行動総隊長(大胡幸平) .統制委員長(林龍二)

選挙立候補

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平成元年(1989年)の第15回参議院議員通常選挙に大行社から分派した「大行社政治連盟」が出馬し、比例代表区に丸山孝(名簿搭載順位第1位)・石川佐智子(「日本教育正常化促進連盟」代表)ら9名の候補者を擁立するも全員落選(得票24030)し、供託金没収。また宮城県選挙区に元日本社会党衆議院議員(1期)千葉佳男を擁立するも落選(7名中7位、得票9000)、供託金没収となっている。大行社政治連盟は稲川会からは独立した政治団体であり、稲川会系の組織票も自民党に流れている[1]

大行社としては、平成12年(2000年)の第42回衆議院議員総選挙で、東京1区で丸川仁を単騎擁立し、対立候補の与謝野馨を激しく口撃。与謝野は落選したが、自らも最下位落選し、供託金を没収されている。

事件

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昭和61年(1986年)10月3日、福島県郡山市の道路で車を運転していた大行社構成員3人が、茨城大学2年の学生の車に追い越されたことに立腹し、車を停車させ、石で学生の頭を殴りつけるなどの暴行を加え殺害した[2][3]。その後、大行社構成員3人は、茨城大学学生の遺体を、米沢市内の沢に遺棄した[2][3]

平成16年(2004年11月大成建設本社受付で大行社構成員木川智重機関銃40発を発砲、同社応接室に立てこもった。木川は2008年に釈放[要出典]され、傘下の大行塾塾長を任ぜられるも、2016年に大行社除名。

平成26年(2014年)4月、安倍晋三首相の辞任を求め、大行社構成員中村之菊自民党本部正門前にて本部建物へ向けて消火器を噴射し身柄を確保される[4]。中村も木川と共に2016年に大行社から除名されている。

出典

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  1. ^ 猪野健治『右翼民族派・総覧』平成三年=1991年版 二十一世紀書院 p59~p63
  2. ^ a b 溝口敦『山口組ドキュメント 五代目山口組』三一書房、1990年、ISBN 4-380-90223-4.のP.263
  3. ^ a b 「茨城大生殺し、右翼3人が「追い越され」凶行 石で頭部を殴る」『朝日新聞』1986年10月6日付朝刊
  4. ^ 犯行声明文「安倍晋三総理大臣の掛け声倒れ外交姿勢に憂慮す」”. 2016年3月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月20日閲覧。

関連項目

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