大谷隆昌
表示
この記事はカテゴライズされていないか、不十分です。 |
大谷 隆昌(大谷五右衛門隆昌、生没年不詳)は、江戸時代初期の武士。
慶長18年(1613年)2月 上野厩橋城主 酒井忠行に出仕し、大坂の陣にも徳川方として出陣した。
後に出家し伊与久に龍昌院という寺院を建てそこで没したという。
略歴
[編集]慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いに父 大谷吉継と共に出陣した大谷吉治は、戦場を脱し、敦賀城および大阪城へ赴いた後、母方の実家である上野国伊予久村に向かった。幼い隆昌は伊与久で母と共に隠棲した。
慶長18年(1613年)2月、上野厩橋城主 酒井忠行の重臣 高須隼人を通じ、命乞いして助けられ、隆昌は酒井氏に奉仕した。
慶長19年(1614年)、慶長20年(1615年)の大坂の陣に酒井氏と共に出陣し軍功をあげ、上野国伊与久に50石を拝領した。後に出家し、伊与久に龍昌院という寺院を建て、そこで没したという。
隆昌の屋敷跡は、寺地に東接した場所だという。