大阪市立味原小学校
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大阪市立味原小学校 | |
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北緯34度40分02秒 東経135度31分41秒 / 北緯34.667333度 東経135.528083度座標: 北緯34度40分02秒 東経135度31分41秒 / 北緯34.667333度 東経135.528083度 | |
過去の名称 |
大阪市清堀尋常高等小学校 大阪市清堀第二尋常高等小学校 大阪市味原尋常高等小学校 大阪市味原国民学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大阪市 |
設立年月日 | 1909年4月 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B127210000688 |
所在地 | 〒543-0023 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
大阪市立味原小学校(おおさかしりつ あじはら しょうがっこう)は、大阪府大阪市天王寺区にある公立小学校。
1992年に文部省より英語教育の研究校に指定されたことをきっかけに、一貫して英語活動に力を入れている。また2005年には大阪市教育委員会の「学校の緑化モデル事業」実施校に選定され、運動場の芝生化に取り組んでいる。
沿革
[編集]東区清堀地区(当時。現在の天王寺区味原・真田山地区)で2番目の小学校として、清堀小学校(廃校[1])より分離する形で1909年に創立した。
清堀第二尋常高等小学校の名称だったが、1927年には味原尋常高等小学校へと改称している。
1934年9月21日、室戸台風の暴風雨により校舎(南棟木造2階建て)が倒壊、下敷きとなった児童16名が死亡。また、訓導2人が児童の救出中に身代わりとなって殉職した[2]。
1941年には国民学校令の実施により、大阪市味原国民学校に改称した。太平洋戦争の戦局悪化に伴い1944年以降学童疎開を実施することになり、味原校では中河内郡柏原町(現在の柏原市)・南高安村(現在の八尾市)への集団疎開を実施している。1945年6月15日の第四次大阪大空襲では校舎半焼の被害を受けた。
1947年の学制改革により大阪市立味原小学校に改称している。
年表
[編集]- 1909年(明治42年)4月 - 大阪市清堀尋常高等小学校として開校。
- 1922年(大正11年)4月 - 大阪市清堀第二尋常高等小学校に改称。
- 1927年(昭和2年)4月 - 大阪市味原尋常高等小学校に改称。
- 1934年(昭和9年) - 室戸台風で被災。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、大阪市味原国民学校に改称。
- 1944年(昭和19年) - 学童疎開を実施。
- 1945年(昭和20年)6月 - 空襲で校舎半焼被害。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、大阪市立味原小学校に改称。
- 1989年(平成元年) - 大阪市教育委員会から、学校図書館の研究校に指定される。
- 1992年(平成4年) - 文部省より、英語教育の研究校に指定される。
- 2005年(平成17年) - 運動場の芝生化事業を開始。
- 2006年(平成18年)9月 - 運動場全面が芝生化される。
通学区域
[編集]- 大阪市天王寺区 舟橋町、小橋町、下味原町、味原町(一部を除く)、味原本町、東高津町(一部)。
- 卒業生は基本的に大阪市立高津中学校に進学する。
- ※東高津町の一部については、調整区域として大阪市立真田山小学校への就学先変更可能。
交通
[編集]関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 1874年西成郡第一区第七番小学校として創立。戦災被害のため1946年大阪市立真田山小学校に統合。現在の大阪市立高津中学校の場所にあった。
- ^ わが身を犠牲に教え子を守った先生たち『大阪毎日新聞』昭和9年9月22日(『昭和ニュース事典第4巻 昭和8年-昭和9年』本編p330 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)