大阪府立生野工業高等学校
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大阪府立生野工業高等学校 | |
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生野工業高校・生野第二工業高校 | |
北緯34度38分48.9秒 東経135度31分49.8秒 / 北緯34.646917度 東経135.530500度座標: 北緯34度38分48.9秒 東経135度31分49.8秒 / 北緯34.646917度 東経135.530500度 | |
過去の名称 |
大阪市立第六工業学校 大阪市立生野工業学校 大阪市立生野工業高等学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 大阪府 |
学区 | 大阪府全域 |
併合学校 | 大阪市立難波工業学校 |
校訓 | 誠実・勤勉・創造・自治 |
設立年月日 | 1940年 |
創立記念日 | 11月5日 |
創立者 | 大阪市 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
機械科 電気科 電子機械科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | D127210001503 |
高校コード | 27238J |
所在地 | 〒544-0025 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
大阪府立生野工業高等学校(おおさかふりつ いくのこうぎょうこうとうがっこう)は、大阪府大阪市生野区に所在する公立の工業高等学校。
設置学科
概要
機械科では機械に関する基礎的な技術を習得することを目的とする。電気科では電気技術や通信技術・情報技術などを学ぶ。電子機械科は電気と機械の両方の基礎を学び、メカトロニクスなどを学習する。
沿革
- 1940年4月 - 3年制の大阪市立第六工業学校として、大阪市立都島工業学校内に設置された仮校舎で開校。機械科を設置。
- 1941年4月 - 大阪市立生野工業学校と改称。
- 1942年9月 - 現在地に移転。
- 1943年 - 夜間部設置。4年制工業学校となる。
- 1946年 - 大阪市立難波工業学校(戦災被災で廃校)を合併。5年制工業学校となる。
- 1948年 - 学制改革に伴い、大阪市立生野工業高等学校と改称。全日制課程と夜間課程を設置。
- 1949年 - 普通科を新設。
- 1950年 - 電気科を新設。普通科を募集停止。夜間課程を定時制課程と改称。
- 1953年 - 定時制課程を大阪市立生野第二工業高等学校として分離。
- 1957年4月 - 時計・計器科を新設。工業高等学校で同科の設置は日本初である。[1]
- 1984年 - 時計・計器科を電子機械科に改称。
- 2022年 - 大阪府に移管。大阪府立生野工業高等学校に改称。
出身者
- 澤田秀雄(エイチ・アイ・エス創業者・会長)
- 林みのる(レーシングカーコンストラクター・童夢創業者、日本自動車レース工業会会長)
- 笑福亭仁鶴(吉本興業特別顧問、落語家、タレント)
- 久保俊巳(元プロ野球選手)
- 金城致勲(元プロ野球選手)
- 太田正男(元プロ野球審判員)
- 上田龍星(ボートレーサー)
交通
脚注
- ^ 『国際時計通信、1963年4巻33号』国際時計通信社、1963年2月15日、56頁。
関連項目
外部リンク
- 大阪府立生野工業高等学校
- 大阪市立生野工業高等学校 - ウェイバックマシン(2021年10月28日アーカイブ分)
- 大阪市立生野工業高等学校 同窓会