天一美術館
天一美術館 | |
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エントランス | |
施設情報 | |
正式名称 | 天一美術館 |
収蔵作品数 | 325 |
管理運営 | 公益財団法人天一美術文化財団 |
建物設計 | 吉村順三設計事務所 |
延床面積 | 1,160m2 |
開館 | 1997年10月 |
所在地 |
〒379-1619 群馬県みなかみ町谷川字上原508 |
位置 | 北緯36度47分24.8秒 東経138度57分17.5秒 / 北緯36.790222度 東経138.954861度座標: 北緯36度47分24.8秒 東経138度57分17.5秒 / 北緯36.790222度 東経138.954861度 |
アクセス | JR上越線水上駅から車で7分 |
外部リンク | http://tenichi-museum.com/top/ |
プロジェクト:GLAM |
天一美術館(てんいちびじゅつかん)は、群馬県みなかみ町谷川に所在する私立美術館である。銀座天一の創業者である矢吹勇雄の個人コレクションが収蔵・展示されている。
設立の経緯[編集]
銀座天一創業者の矢吹勇雄は、一代で天一を高級料理店にのし上げた傑物である。同店は政官産の高官や芸術家・作家など文化人のサロンと化していき、矢吹は多くの知遇を得た。その中の一人に吉田茂がいた。吉田は戦後多くの絵画・陶磁器が海外に流失していくのを目の当たりにして、矢吹に「天一君、日本美術の逸品を守れ」[1]と厳命したという。以降矢吹は吉田の命に従い、人脈を生かしコレクションを蒐集していった。
1995年5月に矢吹が没すると[2])、同年財団法人天一美術文化財団が設立され矢吹のコレクションを管理していくことになり、1997年10月に本美術館が開館した[3]。なお美術館所在地であるみなかみ町谷川は、矢吹が知己の求めに応じて戦前から山荘を所有し、戦中に家族を疎開させていた縁の地である[4]。
建物[編集]
1997年4月に没した建築家吉村順三の遺作である[3][5][6]。この地区は自然公園法第2種特別地域であり高さ・色などの規制が厳しいため、様々な工夫が凝らされている[3]。エントランスを見ると平屋建ての趣きであるが、実際には二階建てとなっている。メイン作品である『麗子像』が配置された展示室では内装色や照明色まで配慮したという[3]。展示品の配置(高さ)は車いすの視線を想定している[5]。
展示作品[編集]
- 絵画
- 陶磁器
アクセス[編集]
脚注[編集]
関連項目[編集]
参考[編集]
- 天一美術館 - 入館パンフレット(入館時に配布されます)
- 『思いのまま - 揚箸でつまみあげた50年 -』 矢吹勇雄著 1982年2月27日発行 (日経事業出版社刊行)