天園翔子
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(天園祥子から転送)
あまぞの しょうこ 天園 翔子 (天園 祥子) | |
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本名 | 豊田 敦子 |
生年月日 | 1958年12月29日(65歳) |
出生地 | 日本・埼玉県蕨市 |
身長 | 170 cm |
職業 | 女優 |
ジャンル | テレビドラマ、バラエティ番組、映画、舞台 |
活動期間 | 1981年 - 1990年代中期頃 |
事務所 | 青年座映画放送部 |
主な作品 | |
バラエティ番組 『欽ちゃんの週刊欽曜日』 |
天園 翔子(あまぞの しょうこ[1]、1958年12月29日[1][2] - )は、日本の元女優。埼玉県蕨市出身[3]。本名、豊田 敦子[1][3]。青年座映画放送部に所属していた[2]。
来歴・人物
[編集]元々新劇女優志望であった[1]。中学生時代はバスケットボール部(本人曰く、このことは身長が1年間で10cmも伸びたとのこと)だった[2]が、高校では演劇部に入部[2]。川口市立川口女子高等学校(現・川口市立川口総合高等学校)卒業[3]後、劇団昴付属養成所を経て[3]、1980年に青年座演劇研究所入所[3][1]、1981年に青年座の正座員となる[3]。同年の公演『ある馬の物語』で初舞台[3]。1982年には日本テレビのドラマ『ホームスイートホーム』のゲスト出演でドラマ初出演を果たし[3]、同10月スタートのTBS系列のバラエティ番組『欽ちゃんの週刊欽曜日』でテレビ初レギュラー[1][3]。同番組では最初は「男と女のポエム」コーナーに出演していたが、後に「欽ちゃんバンド」にも出演[3]。
1990年中に芸名を天園 祥子(あまぞの しょうこ)に改名。1995年以降は活動が途絶えており、これ以後の状況は不明。
身長170cm(1983年当時)[2][3]。趣味は料理[1]、球技[3]、モダンバレエ[3]。兄がいる[3]。
出演
[編集]バラエティ
[編集]- 欽ちゃんの週刊欽曜日 (TBS)- レギュラー
テレビドラマ
[編集]([4])
- 月曜ドラマランド・のんき君 (フジテレビ、1983年12月12日)
- 欽ちゃんファミリー時代劇スペシャル『俺たちの熱い風』 (日本テレビ、1984年10月7日)
- 知りすぎた男 (TBS、1985年3月10日)
- 土曜ワイド劇場 (テレビ朝日)
- 美しい人妻 六年目の殺意 (1985年11月16日)
- 死のハネムーン (1990年11月27日)
- ジャンプアップ!青春 (日本テレビ、1986年1月8日〜3月26日)
- 木曜ドラマストリート・恐怖のドライブ (フジテレビ、1986年2月13日)
- 金曜女のドラマスペシャル・団地妻連続殺人事件 (フジテレビ、1986年2月28日)
- ドラマ23 (TBS)
- ママは幽霊がお好き (1988年1月11日〜1月14日)
- 下町の空は茜色 (1988年12月5日〜12月15日)
- コピー室より愛をこめて (1989年4月10日〜4月13日)
- 春燈 (テレビ朝日、1989年1月2日)
- 教師びんびん物語II (フジテレビ、第3話 1989年4月17日)
- 土曜ドラマスペシャル・コント赤信号の『サラリー漫遊記』 (TBS、1989年4月8日)
- 愛しあってるかい! (フジテレビ、第1話 1989年10月16日)
- 月曜ドラマスペシャル (TBS)
- なまいきスチュワーデス物語 (1989年11月6日)
- ジューンブライドは幸せになれる? (1990年6月25日)
- 以下は「天園祥子」名義での出演
- 木曜ドラマ・女の敵は男の敵 (テレビ朝日、1990年11月22日〜12月6日)
- 子供が寝たあとで (日本テレビ、1992年4月18日〜6月27日)
- 法医学教室の事件ファイル 第1シリーズ (テレビ朝日、第4話 1992年7月30日)山下厚子 役
- 東芝日曜劇場・課長たちの島 (RKB毎日放送制作・TBS系列、1992年11月29日)
- ドラマ30・娘からの宿題 (中部日本放送制作・TBS系列、1993年8月2日〜10月1日)
- カネボウヒューマンスペシャル『ちゃんめろの山里で』 (日本テレビ、1993年2月16日)
- 適齢期 (TBS、1994年4月15日〜7月1日)
- 恋人をつくる100の方法 (朝日放送制作・テレビ朝日系、1995年2月14日〜3月21日)
- 土曜ドラマ・大地の子 (NHK総合、1995年11月11日〜12月23日)
映画
[編集]楽曲
[編集]- 「佐藤のB面です。銀座の雨の物語」