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天泰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

天泰(てんたい)は、金代蒲鮮万奴が自立し建てた大真国(東夏)の私年号1215年 - 1223年

西暦等との対照表

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天泰 元年 2年 3年 4年 5年 6年 7年 8年 9年
西暦 1215年 1216年 1217年 1218年 1219年 1220年 1221年 1222年 1223年
干支 乙亥 丙子 丁丑 戊寅 己卯 庚辰 辛巳 壬午 癸未
貞祐3 貞祐4 貞祐5
興定
興定2 興定3 興定4 興定5 興定6
元光
元光2
モンゴル
帝国
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出典

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金史』巻14 本紀第14 宣宗上 貞祐3年冬10月条
遼東賊蒲鮮万奴僭号、改元天泰
朝鮮王朝実録』巻185 成宗16年乙巳11月条
庚申、永安道穏城得古印一事以進。其一面書『天泰四年月日』。伝曰『令弘文館考年号以啓』[1]
天泰八年二月分四品印二寸三分二厘五毫官」と記された青銅板[2]

下記二つは後代の出土遺物であり、史料上には記載のほとんどない「天泰」の元号が遅くとも八年(1222年)まで続いていたことを立証する[3]

脚注

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  1. ^ 岩井(1932), p. 32-33.
  2. ^ 明治42年に京都帝国大学事務官の鈴木信太郎が問島地方を調査中に取得し、後に内藤湖南に寄贈したもの(岩井(1932), p. 45)
  3. ^ 岩井(1932), p. 34.

参考文献

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  • 李崇智『中国歴代年号考』(北京:中華書局、2001年1月) ISBN 7101025129 191ページ。
  • 岩井大慧「蒲鮮万奴国号考」『東洋学報』第19巻第4号、東洋文庫、1932年4月、439-528頁、CRID 1050564288445905408 

関連項目

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前の元号
(なし)
中国の元号
大真国
次の元号
大同