天津津門虎足球倶楽部
天津津門虎足球倶楽部 | |||
---|---|---|---|
原語表記 | 天津津门虎足球俱乐部 | ||
クラブカラー | 青 | ||
創設年 | 1998年 | ||
所属リーグ | 中国超級 | ||
所属ディビジョン | 1部 | ||
ホームタウン | 天津 | ||
ホームスタジアム | 天津奥林匹克体育中心体育場 | ||
収容人数 | 54,696 | ||
代表者 | 高応欽 | ||
監督 | 于根偉 | ||
公式サイト | 公式サイト | ||
| |||
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
天津津門虎足球倶楽部 | |
---|---|
各種表記 | |
繁体字: | 天津津門虎足球俱樂部 |
簡体字: | 天津津门虎足球俱乐部 |
拼音: | Tiānjīn Jīnménhǔ Zúqiú Jùlèbù |
発音: | ティェンジン ジンメンフー ズーチィゥ ジュラブー |
英文: | Tianjin Tigers Football Club |
天津津門虎足球倶楽部(天津津门虎足球俱乐部)は、中華人民共和国の天津市をホームタウンとする、中国プロサッカーリーグ(中国リーグ)に加盟するプロサッカークラブ。
概要
[編集]クラブ名の「泰達」は浜海新区の大型再開発地域・天津経済技術開発区(Tianjin Economic and Technology Development Area)の英文略称「TEDA」を、中国語に音訳したもの。本拠となるスタジアムも古くからの天津市街ではなくTEDAに置かれている。
前身は1956年に作られた天津市足球隊であり名門チームとして知られた。1995年には韓国の三星グループがスポンサーとなり天津三星となっていた。その後天津立飛三星と改名したが、1998年に天津経済技術開発区がスポンサーになり、別のサッカークラブ・天津万科と合併して現在の天津泰達サッカークラブとなった。
歴史
[編集]- 1998年
天津泰達グループが中心となり、プロサッカークラブ「天津泰達足球倶楽部(Tianjin Teda Football Club)」を設立。甲Bリーグで優勝。
- 1999年
甲Aリーグ所属となる。
- 2003年
康師傅がチームスポンサーとなる。
- 2004年
スーパーリーグ開始当初より所属。
- 2008年
スーパーリーグ4位。AFCチャンピオンズリーグ2009の出場権を獲得した。
- 2009年
AFCチャンピオンズリーグ2009でACL初出場すると予選で浦項、川崎、セントラルコースト・マリナーズのグループHを2勝2分2敗の3位で終えグループリーグ敗退した。
- 2010年
スーパーリーグ2位。AFCチャンピオンズリーグ2011の出場権を獲得した。
- 2011年
2回目の出場となったAFCチャンピオンズリーグ2011の予選でG大阪、済州、メルボルン・ビクトリーのグループEを3勝1分2敗の2位で初の決勝トーナメントに進出した。ラウンド16で全北と対戦した。アウェイでの一発勝負は0-3で敗れ、ラウンド16で敗退が決定した。
中国FAカップ初優勝。AFCチャンピオンズリーグ2012の出場権を獲得した。
- 2012年
3回目の出場となったAFCチャンピオンズリーグ2012の予選で城南、名古屋、セントラルコースト・マリナーズのグループGを3分3敗でグループリーグ最下位の4位に終え敗退した。
- 2021年
チーム名を「天津津門虎足球倶楽部」へ改名した。
1月13日、オーナーである天津泰達グループはチーム名を「天津津門虎」に変更した直後、チームを放棄すると発表した。チームは2月28日の超級リーグの締め切りに、規定のフォームを中国サッカー協会に提出できず、リーグ審査に不合格となり存続が危ぶまれた。超級リーグ開幕直前、一時的に天津スポーツ局がチーム運営を行うことが決まり、2021年の超級リーグへの参加が決定した[1]。
2023年
天津港爆発事故の影響で長く使用できなかった専用スタジアム・泰達スタジアムの修復が終わり、ホームとして利用再開した。
タイトル
[編集]国内タイトル
[編集]- FAカップ:1回
- 2011
- 甲Bリーグ:1回
- 1998
表彰
[編集]過去の成績
[編集]シーズン | ディビジョン | カップ | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
リーグ | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 点 | 順位 | ||
1999 | 超級リーグ | 26 | 8 | 11 | 7 | 32 | 28 | +4 | 35 | 7位 | 1回戦敗退 |
2000 | 超級リーグ | 26 | 7 | 10 | 9 | 28 | 37 | −9 | 31 | 10位 | 2回戦敗退 |
2001 | 超級リーグ | 26 | 10 | 6 | 10 | 38 | 31 | +7 | 36 | 7位 | 準々決勝敗退 |
2002 | 超級リーグ | 28 | 9 | 7 | 12 | 37 | 36 | +1 | 34 | 10位 | 準々決勝敗退 |
2003 | 超級リーグ | 28 | 8 | 12 | 8 | 32 | 33 | −1 | 36 | 10位 | ベスト16 |
2004 | 超級リーグ | 22 | 7 | 8 | 7 | 28 | 29 | −1 | 29 | 6位 | 2回戦敗退 |
2005 | 超級リーグ | 26 | 14 | 7 | 5 | 48 | 26 | +22 | 49 | 4位 | 1回戦敗退 |
2006 | 超級リーグ | 28 | 10 | 10 | 8 | 40 | 38 | +2 | 40 | 6位 | 準々決勝敗退 |
2007 | 超級リーグ | 28 | 12 | 8 | 8 | 31 | 22 | +9 | 44 | 6位 | |
2008 | 超級リーグ | 30 | 16 | 9 | 5 | 54 | 29 | +25 | 57 | 4位 | |
2009 | 超級リーグ | 30 | 12 | 9 | 9 | 36 | 29 | +7 | 45 | 6位 | |
2010 | 超級リーグ | 30 | 13 | 11 | 6 | 37 | 29 | +8 | 50 | 2位 | |
2011 | 超級リーグ | 30 | 8 | 13 | 9 | 37 | 41 | −4 | 37 | 10位 | 優勝 |
2012 | 超級リーグ | 30 | 10 | 10 | 10 | 29 | 30 | −1 | 40 | 8位 | 4回戦敗退 |
2013 | 超級リーグ | 30 | 11 | 7 | 12 | 35 | 39 | −4 | 34 | 11位 | 4回戦敗退 |
2014 | 超級リーグ | 30 | 10 | 9 | 11 | 41 | 44 | −3 | 39 | 7位 | 3回戦敗退 |
2015 | 超級リーグ | 30 | 7 | 10 | 13 | 39 | 46 | −7 | 31 | 13位 | 4回戦敗退 |
2016 | 超級リーグ | 30 | 9 | 9 | 12 | 38 | 50 | -12 | 36 | 10位 | 4回戦敗退 |
2017 | 超級リーグ | 30 | 8 | 7 | 15 | 30 | 49 | -19 | 31 | 13位 | 4回戦敗退 |
2018 | 超級リーグ | 30 | 8 | 8 | 14 | 41 | 54 | −13 | 32 | 14位 | ベスト16 |
2019 | 超級リーグ | 30 | 12 | 5 | 13 | 43 | 45 | −2 | 41 | 7位 | 準々決勝敗退 |
2020 | 超級リーグ | 20 | 10位 |
- 2020シーズンは新型コロナウイルス感染拡大の影響により、8チームずつ2つのグループに分かれて予選を行い、各グループ上位4チーム計8チームが優勝を争う決勝トーナメントに、下位4チーム計8チームが降格を争う残留プレーオフに進む形で開催された。
現所属メンバー
[編集]- 2019年3月1日現在[2]
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
|
|
歴代監督
[編集]- アリー・ハーン 2009-2011
- ヨジップ・クゼ 2012
- アレシャンドレ・ギマラエス 2012-2013
- アリー・ハーン 2014-2015
- ドラゴミル・オクカ 2015-2016
- ジャイメ・パシェコ 2016-2017
- 李林生 2017
- ウリ・シュティーリケ 2017-2020
- 于根偉 2021-
歴代所属選手
[編集]- 張爍 2002-2009
- 蒿俊閔 2004-2009
- 于大宝 2010-
- スティグ・トフティング 2003
- ダミアーノ・トンマージ 2009
- マーク・ブリッジ 2009
- ファルホド・タジエフ 2010
- ホセ・ルイス・ビジャヌエバ 2010
- バレー 2013-2014
- 黄錫鎬 2017
脚注
[編集]- ^ “津門虎指令性復活?滬媒:留住是一種希望 一份信心”. 新浪新聞中心 (2021年3月30日). 2021年3月30日閲覧。
- ^ “教练员与球员信息” (中国語). 天津泰達足球倶楽部. 2018年3月7日閲覧。