天理大学女子短期大学部
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天理大学女子短期大学部 | |
---|---|
大学設置 | 1950年 |
創立 | 1925年 |
廃止 | 1960年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人天理大学 |
本部所在地 | 奈良県天理市杣之内町1050 |
学部 |
外国語科[注釈 1] フランス語専攻[注釈 1] ドイツ語専攻[注釈 1] ロシア語専攻[注釈 1] イスパニア語専攻[注釈 1] インドネシア語専攻[注釈 1] 保育科 生活科 保健体育科[注釈 2] 図書館科[注釈 2] |
天理大学女子短期大学部(てんりだいがくじょしたんきだいがくぶ、英語: Tenri University Women's Junior College[1])は、奈良県天理市杣之内町1050に本部を置いていた日本の私立大学である。1950年に設置され、1960年に廃止された。
概要
[編集]大学全体
[編集]- 奈良県天理市に所在した日本の私立短期大学で、設置主体は学校法人天理大学[2]。
- 国内で最初に認可された短期大学149校[注 1]の1校として、1950年に3学科[3]160名体制[注 2]で開学した[4]。
- 1952年より1学科5専攻が天理大学に引き渡されたが、2つの学科が増設される。
- しかし程なくして1955年より2学科がまた天理大学の学部に組み込まれたことで、最終的には2学科となった[5]。
- 1957年度の入学生を最後に[注釈 3]、1960年に短期大学としての使命を終える[7]。
- 卒業者総数は449[注 3]。
教育および研究
[編集]- 天理大学女子短期大学部は、旧来の天理短期大学を含めると外国語・生活・保育・保健体育・図書館の各学科における専門教育が行われていた。
- 外国語科には、フランス語・ドイツ語・ロシア語・イスパニア語・インドネシア語の各専攻課程が設けられ、当時の短大では全国的に珍しいものとなっていた。
- また、図書館科も当時としては全国的に稀少であり、学名通り司書を養成する課程であった。
- 保育科は保母および幼稚園教員養成課程で、生活科は栄養士養成施設としても認可を受けていた。両者は女子のみを対象としていた[9]。
沿革
[編集]- 1925年 天理外国語学校が創設される。
- 1928年 旧来の天理外国語学校を天理女子学院に改組。
- 1940年 天理女子専門学校を設置。
- 1944年 天理女子語学専門学校に改組。
- 1946年 天理保母養成所を設置。
- 1949年 天理大学が開学。
- 1949年
- 1950年
- 1951年
- 1952年
- 1953年
- 1954年
- 1956年
- 1957年
- 1960年
基礎データ
[編集]所在地
[編集]- 奈良県天理市杣之内町1050
年度別学生数
[編集]- | 外国語科 | 生活科 | 保育科 | 保健体育科 | 図書館科 | 出典 |
---|---|---|---|---|---|---|
入学定員 | 100 | 50 | 30 | 50 | 30 | - |
総定員 | 200 | 100 | 60 | 100 | 60 | - |
1950年 - 1953年 | 不明[注 11] | 不明 | 不明 | 不明 | 不明 | [注釈 5] |
1954年 | - | 女59 | 女30 | 男62 女11 |
男23 女13 |
[33] |
1955年 - 1957年 | - | 不明 | 不明 | 不明 | 不明 | [注釈 5] |
1958年 | - | 女37 | 女21 | - | - | [34] |
1959年 | - | - | - | - | - | [35] |
教育および研究
[編集]組織
[編集]学科
[編集]専攻科
[編集]- なし
別科
[編集]- なし
学生生活
[編集]- 1952年7月19日、当時保健体育科学生の大石康子が第15回ヘルシンキオリンピック大会の水泳競技選手として出場。
- 1954年5月7日、第2回アジア大会水泳競技において宮本まさみ(保健体育科)が女子飛板、高飛込にて優勝、田村美佐子(保健体育科)が女子400メートル自由形で優勝を成し遂げている。
大学関係者と組織
[編集]大学関係者
[編集]- 歴代学長
対外関係
[編集]系列校
[編集]注釈
[編集]注釈グループ
[編集]- ^ a b c d e f 学生募集は1951年度まで。1953年3月31日廃止。
- ^ a b 学生募集は1954年度まで。1956年3月31日廃止。
- ^ a b 昭和33年度より学生募集停止[6]。
- ^ a b 現在の文部科学省。
- ^ a b この年度における『全国学校総覧』が存在しないため。
- ^ a b c d e 最終募集となった1951年における体制[36]。
- ^ a b 最終募集となった1957年における体制[30]。
- ^ a b 最終募集となった1954年における体制[37]。
補足
[編集]出典
[編集]- ^ About Tenri University Short History(English)より。2014年9月8日閲覧。
- ^ 天理市史-411コマ目-より。
- ^ 官報 1950年09月14日より。
- ^ 天理教統計年鑑 第19回より。
- ^ 天理大学'1955.
- ^ 短期大学一覧 昭和33年度 (短期大学資料 ; 第19号)より。
- ^ a b 短期大学一覧 昭和35年度 (短期大学資料 ; 第24号)より。
- ^ 天理大学'1986.
- ^ 全国職業学校案内 昭和30年版より。
- ^ 文部省a, p. 35.
- ^ 文部省b, p. 2.
- ^ 全国学校名鑑 昭和25年版より。
- ^ 日本教育年鑑より。
- ^ 旺文社1950-01, p. 89.
- ^ 短期大学一覧 昭和26年度 (短期大学資料 ; 第3号)より。
- ^ 文部省c, p. 5.
- ^ 短期大学一覧 昭和25年5月1日現在より。
- ^ 文部省d, p. 9.
- ^ a b 天理大学'2000.
- ^ 官報 1951年01月18日-文部省告示第4号-より。
- ^ 官報 1951年07月05日より。
- ^ a b c 短期大学一覧 昭和27年度 (短期大学資料 ; 第5号)より。
- ^ a b 短期大学一覧 昭和28年度 (短期大学資料)より。
- ^ 天理教統計年鑑 第21回より。
- ^ 図書分類と図書記号 (新日本図書館学叢書 ; 第9巻)より。
- ^ 図書館学の展開より。
- ^ 短期大学一覧 昭和30年度 (短期大学資料 ; 第13号)より。
- ^ 天理短期大学'1954, p. 4.
- ^ 短期大学一覧 昭和31年度 (短期大学資料)より。
- ^ a b 短期大学一覧 昭和32年度 (短期大学資料 ; 第18号)より。
- ^ 天理市史-184コマ目-より。
- ^ 文部省年報 第85年(昭和32年度)より。
- ^ 文部省'54, p. 1381.
- ^ 全国学校総覧 昭和34年版より。
- ^ 全国学校総覧 昭和35年版より。
- ^ 短期大学一覧 昭和26年度 (短期大学資料 ; 第3号)より。
- ^ 短期大学一覧 昭和29年度 (短期大学資料)より。
- ^ 全国大学大観 昭和30年版より。
- ^ 天理短期大学'1953, p. 16.
- ^ a b c 文部省e, p. 44.
- ^ これからの女性の職業案内-59コマ目-より。
- ^ これからの女性の職業案内-57コマ目-より。
参考文献
[編集]1949年短大設置申請分
[編集]- 文部省『申請大学、短期大学等一覧 短期大学審査状況』(PDF)文部省 。
- 文部省『短期大学審査状況』(PDF)文部省 。
- 旺文社『蛍雪時代 19(10);昭和25年1月號』旺文社 。
- 文部省『短期大学審査状況-認可分-』(PDF)文部省 。
- 文部省管理局管理課『昭和25年5月1日現在 短期大学等一覧』(PDF)文部省 。
全国学校総覧
[編集]- 文部省調査局統計課『全国学校総覧 昭和30年版』青葉書房 。
教員養成機関
[編集]- 文部省大学学術局『教員養成課程認定大学短期大学一覧 : 附指定教員養成機関一覧. (昭和30年) / (編)』(PDF)文部省 。
天理大学関連
[編集]- 天理大学編『天理大学/天理大学』天理大学 。
- 天理大学編『学校法人天理大学年表』天理大学 。
短期大学冊子
[編集]- 天理大学, 天理短期大学編『天理大学と同短期大学』天理大学 。
短期大学要覧
[編集]- 天理短期大学『天理短期大学要覧 昭和27年度,昭和27年度: 保健体育科,昭和28年度,昭和29年度』天理短期大学 。
入学案内
[編集]- 天理短期大学編『天理短期大学入学案内』天理短期大学 。