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岸勇一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

岸 勇一(きし ゆういち、1900年明治33年)2月7日[1] - 1978年昭和53年)12月4日[2][3][4])は、昭和時代前期の朝鮮総督府官僚。咸鏡南道知事。天理大学学長。

経歴

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奈良県出身[5]1925年(大正14年)高等試験に合格し、翌年東京帝国大学法学部政治科を卒業する[5][4]。朝鮮総督府に奉職し、官房審議室土地改良部勤務、総督府事務官・農林局農林振興課長、農政課長、1941年(昭和16年)6月[6]慶尚南道内務部長を経て、1942年(昭和17年)6月、農林局糧政課長に就任した[5]。その後、咸鏡南道知事を務めた[7]

1953年(昭和28年)1月から1960年(昭和45年)9月まで天理大学学長[8]1957年(昭和32年)1月から1964年(昭和49年)10月まで同大学理事長となる[4]

1978年(昭和53年)12月4日急性肺炎のため死去、享年78歳[2][3][4]

脚注

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  1. ^ 『人事興信録 第25版 上』(人事興信所、1969年)さ136頁「坂口公男」の項
  2. ^ a b 「岸 勇一氏(きし・ゆういち=天理大前学長)」『朝日新聞』1978年12月5日、23面。
  3. ^ a b 「岸 勇一氏(きし・ゆういち=天理大学前学長)」『読売新聞』1978年12月5日、23面。
  4. ^ a b c d 「岸 勇一氏(きし・ゆういち、天理大前学長)」『毎日新聞』1978年12月5日、23面。
  5. ^ a b c 帝国秘密探偵社 1943, 朝鮮35頁.
  6. ^ 日本官界情報社 1942, キ14頁.
  7. ^ 『朝鮮総督府咸鏡南道知事岸勇一叙位の件』 - 国立公文書館デジタルアーカイブ、昭和25年2月20日。
  8. ^ 年譜”. 天理大学ふるさと会. 2020年10月8日閲覧。

参考文献

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