天草十七人衆
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天草十七人衆(あまくさじゅうしちにんしゅう)は、島原の乱において一揆勢を率いた主な浪人らのことをいう。出典は江戸時代の記録物『天草騒動』などによる。なお『天草騒動』については軍記物のような一種の歴史小説であり、その資料的価値は低いとする説もある。
- 蘆塚忠右衛門〔小西行長家臣の子・有馬氏旧臣〕
- 千々石五郎左衛門〔加藤氏家臣の子〕
- 大矢野松右衛門〔小西行長旧臣(元 本多忠朝剣術指南役とも)〕
- 赤星道重〔加藤氏家臣の子〕
- 益田好次〔小西行長旧臣(祐筆)〕
- 森宗意軒〔小西行長旧臣〕
- 駒木根友房〔島津氏・小西行長旧臣〕
- 山田右衛門作〔有馬氏旧臣・松倉氏御用達南蛮絵師〕
- 天草玄察〔益田好次の伯父〕
- 千束善右衛門〔小西行長旧臣(供頭)〕
- 栖本左京進
- 鹿子木右馬助
- 田崎刑部〔森宗意軒の弟子〕
- 蘆塚左内〔蘆塚忠右衛門の子〕
- 蘆塚忠太夫〔蘆塚忠右衛門の弟〕
- 戸塚宗右衛門
- 有馬休意〔有馬氏旧臣〕
なお、天草五人衆という場合は、『天草騒動』によると大矢野松右衛門・千束善右衛門・森宗意軒・大江源右衛門・山善左衛門を指す。この5人は多くの史料に一揆勢の首謀者として名が見られる。
出典
[編集]- 田丸具房(常山)『天草騒動』(1692年)[要文献特定詳細情報]