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天谷直次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
天谷 直次郎
生誕 1888年6月12日
日本の旗 日本 福井県
死没 (1966-11-30) 1966年11月30日(78歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1909年 - 1941年
最終階級 陸軍中将
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天谷 直次郎(あまや なおじろう、1888年明治21年)6月12日[1] - 1966年昭和41年)11月30日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功二級[2]

経歴

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1888年(明治21年)に福井県で生まれた[1]陸軍士官学校第21期、陸軍大学校第31期卒業[3]1932年(昭和7年)に独立守備歩兵第2大隊長に就任し[2]1933年(昭和8年)8月に陸軍歩兵大佐進級と同時に宇都宮連隊区司令官に転じた[2]1935年(昭和10年)には歩兵第42連隊長に就任[2]

1937年(昭和12年)8月に陸軍少将に進級[2]、歩兵第10旅団長に着任し[1]1938年(昭和13年)に仙台陸軍教導学校長に転じた[1]1939年(昭和14年)10月2日、陸軍中将に進級と同時に第40師団長に親補され[1][2][3]日中戦争に出動[3]。主に治安維持に当たったが[3]宜昌作戦予南作戦、長沙作戦に参加し、戦果を収めた[3]1941年(昭和16年)8月25日参謀本部附となり[3]10月15日に待命[3]12月2日予備役に編入された[3]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]

息子は天谷直弘、孫は天谷直昭

栄典

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脚注

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  1. ^ a b c d e f 福川 2001, 34頁.
  2. ^ a b c d e f 外山 1981, 264頁.
  3. ^ a b c d e f g h 福川 2001, 35頁.
  4. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」1頁。
  5. ^ 『官報』第3861号「叙任及辞令」1939年11月17日。

参考文献

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  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026