コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

太宰孫九

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
太宰孫九
だざい まごく
生年月日 1879年10月8日
出生地 日本の旗 日本 愛媛県北宇和郡二名村
没年月日 (1942-11-27) 1942年11月27日(63歳没)
出身校 第四高等学校
所属政党立憲政友会→)
政友本党→)
立憲民政党

選挙区 愛媛県第7選挙区
当選回数 1回
在任期間 1924年 - 1928年1月21日

愛媛県の旗 第11代 愛媛県会副議長
在任期間 1921年12月9日 - 1923年9月24日

愛媛県の旗 愛媛県会議員
選挙区 北宇和郡選挙区
当選回数 3回
在任期間 1917年7月17日 - 1923年
1931年 - 1932年10月21日

二名村長
在任期間 1912年11月 - 1913年7月

北宇和郡会議員
在任期間 1911年9月 - 1915年9月

その他の職歴
二名村会議員
1905年1月 - ?)
テンプレートを表示

太宰 孫九(だざい まごく、1879年10月8日[1][2] - 1942年11月27日[3])は、日本の政治家衆議院議員(1期)。

経歴

[編集]

愛媛県北宇和郡二名村生まれ[4]第四高等学校で学ぶ[2][4]1905年1月に二名村会議員となる[2]。以後、北宇和郡会議員(1911年9月から1915年9月まで)、二名村長(1912年11月から1913年7月まで)を歴任する[2]

1915年9月の愛媛県会議員選挙に北宇和郡選挙区から、立憲政友会所属で立候補したが次点で落選した[5]。その後、1917年7月の補欠選挙に当選して、同月17日に県会議員となる[2][5]1919年の県会議員選挙で再選を果たした[6]1921年12月9日から1923年9月24日までは第11代副議長も務めた[2][7]。1923年の県会議員選挙では予想に反して落選した[8][9]

1924年第15回衆議院議員総選挙において愛媛7区から政友本党公認で立候補して当選した[10][11]。政友本党解党後は立憲民政党に参加した[12]1928年第16回衆議院議員総選挙には立候補しなかった[13]1931年の県会議員選挙に当選して、返り咲きを果たした[14]。しかし、1932年10月21日に議員失格となった[15]

このほか、所得税調査委員、北宇和郡畜産組合長、同郡農会長等の公職のほか、宇和水力電気専務、宇和島製糸社長、宇和製氷専務、穂積銀行取締役、宇和島材木取締役、伊予電気鉄道副社長なども務めた[2][4]

長女は俳人の芝不器男と結婚している(芝が婿養子になった)。

脚注

[編集]
  1. ^ 衆議院『第四十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1924年、30頁。
  2. ^ a b c d e f g 愛媛県人物名鑑 第3輯』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  3. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』349頁。
  4. ^ a b c 国会大鑑 衆議院篇』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  5. ^ a b 愛媛県議会史 第3巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  6. ^ 愛媛県議会史 第3巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  7. ^ 歴代議長・副議長一覧 - 愛媛県議会 - 愛媛県庁公式ホームページ”. www.pref.ehime.jp. 2024年6月14日閲覧。
  8. ^ 愛媛県議会史 第3巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  9. ^ 愛媛県議会史 第3巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  10. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』76頁。
  11. ^ 愛媛県議会史 第3巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  12. ^ 愛媛県議会史 第4巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  13. ^ 愛媛県議会史 第4巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  14. ^ 愛媛県議会史 第4巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  15. ^ 愛媛県議会史 第4巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション

参考文献

[編集]
  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 院内会派編衆議院の部』大蔵省印刷局、1990年。