太田勝海
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太田 勝海 | |
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生誕 |
1887年3月22日 日本 兵庫県 |
死没 | 1954年8月22日(67歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1908年 - 1942年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
太田 勝海(おおた かつみ、1887年(明治20年)3月22日[1] - 1954年(昭和29年)8月22日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]1887年(明治20年)に兵庫県で生まれた[1]。陸軍士官学校第20期、陸軍大学校第28期卒業[1]。1931年(昭和6年)8月1日に陸軍砲兵大佐に進級し[2]、陸軍兵器本廠附となった[2]。同年12月9日にジュネーヴ軍縮会議随員となり[2]、1932年(昭和7年)6月25日に帰国した[2]。10月3日に野砲兵第5連隊長に着任し[2]、1934年(昭和9年)11月に砲兵監部部員に転じた[2]。
1936年(昭和11年)8月1日に陸軍少将進級と同時に砲兵監部附となり[1][2]、1937年(昭和12年)8月に野戦重砲兵第4旅団長を経て[1]、1938年(昭和13年)6月に陸軍重砲兵学校長に就任した[1]。1939年(昭和14年)3月9日に陸軍中将に進級し[2]、留守第1師団長に就任[1]。1941年(昭和16年)3月1日に第22師団長(第13軍)に親補され[1]、日中戦争に出動し杭州に駐屯した[1]。1942年(昭和17年)3月2日に待命[1]、3月22日に予備役に編入された[1]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]。
栄典
[編集]- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[4]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。