奈良岡良二
表示
| ||||
---|---|---|---|---|
選手情報 | ||||
ラテン文字 | Ryoji NARAOKA [1][2] | |||
国籍 | 日本 | |||
競技 | 陸上競技(競歩) | |||
種目 | 50キロメートル競歩 | |||
生年月日 | 1908年4月2日 | |||
生誕地 | 青森県南津軽郡浪岡町 | |||
没年月日 | 1992年6月2日(84歳没) | |||
編集 |
奈良岡 良二(ならおか りょうじ、1908年4月2日 - 1992年6月2日[3])は、日本の競歩選手、保健体育学者[4]。
1936年ベルリンオリンピックで50キロメートル競歩に出場。競歩競技では日本初のオリンピック選手である。
経歴
[編集]青森県南津軽郡浪岡町(現青森市浪岡)出身[4][5]。青森県師範学校卒業[1][注釈 1]
1936年ベルリンオリンピックで50キロメートル競歩に出場した[4][6]。競歩競技では日本初のオリンピック選手である[7]。成績は5時間7分15秒(19位)[1](Athletics at the 1936 Summer Olympics – Men's 50 kilometres walk参照)[注釈 2]。
1944年(昭和19年)から北京大学副教授を務めた[4]。帰国後、青森県の高等学校長を歴任。校長を務めた学校には、郷里にある浪岡高等学校も含まれる[5]。大湊高等学校校長在任中の1967年[8]には「耐久遠足」を創設した[9]。
1971年(昭和46年)から1988年(昭和63年)まで弘前学院大学教授に在任した[4]。
著書
[編集]- 歩行の美と力 正しく美しい歩きかたの科学(第一法規出版、1968年)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『現代物故者事典 1991~1993』には、日本大学法文学部法学科を卒業[4]とある。
- ^ なお、日本の競歩界が次にオリンピックに代表を送り出すのは28年後の1964年東京オリンピックである。
出典
[編集]- ^ a b c 「Japanese Delegation of Athletics Team : Rio de Janeiro 2016」(PDF)、日本陸上競技連盟、2016年、2020年2月20日閲覧。
- ^ “RYOJI NARAOKA”. IOC. 2020年2月20日閲覧。
- ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 2 (学術・文芸・芸術篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、809頁。
- ^ a b c d e f 『現代物故者事典 1991~1993』442-443頁。
- ^ a b “なみおか町史コラム(8) ~終戦直後の浪岡本町~”. なみおか今・昔. 青森市. 2020年2月20日閲覧。
- ^ “Ryoji Naraoka Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年12月4日閲覧。
- ^ 松原孝臣 (2015年8月31日). “悲願のメダルを生んだ「先人の土台」。谷井孝行の快挙は、競歩界の総力だ。”. Number Web. 文藝春秋. 2020年2月20日閲覧。
- ^ 福士広司(校長)「開校70周年にむけて」(PDF)『なかま』第36巻、青森県立大湊高等学校東京同窓会、2016年6月25日、1頁、2020年2月20日閲覧。
- ^ 「東京生活アンケート」(PDF)『なかま』第36巻、青森県立大湊高等学校東京同窓会、2016年6月25日、7頁、2020年2月20日閲覧。
参考文献
[編集]- 『現代物故者事典 1991~1993』日外アソシエーツ、1994年。