奚牧
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奚 牧(けい ぼく、生年不詳 - 397年)は、中国の北魏の軍人・政治家。本貫は代郡。
経歴
[編集]智謀にすぐれ、道武帝の寵遇を受け、「仲兄」と称された。385年、劉顕が道武帝の殺害を謀ると、梁眷がその計画を察知し、ひそかに奚牧や穆崇とともに七介山に向かって道武帝に知らせた。道武帝は賀蘭部に逃れて難を逃れた。奚牧は功績により治民長となった。
396年(登国11年)、道武帝が後燕の慕容宝を攻撃すると、奚牧は輔国将軍の位を加えられ、晋川の地を攻略し、後燕の丹陽王慕容買得と離石護軍の高秀和を平陶で捕らえた。并州刺史となり、任城公の爵位を受けた。397年(皇始2年)、并州は後秦と国境を接しており、たびたび侵入を受けたので、奚牧は姚興に手紙を書き送って、その中に「頓首」と書いた。これは対等の礼とみなされるもので、侵犯をおこなった姚興を責める意図を含んでいた。後秦は北魏と通交関係にあったので、姚興は奚牧を恨んで道武帝に訴え、道武帝は奚牧を処刑した。