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奥平貞教

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

奥平 貞教(おくだいら さだのり、寛保3年2月19日1743年3月14日) - 寛政8年10月8日1796年11月7日))は、伊予松山藩家老、奥平藤左衛門家6代当主。

父は奥平貞幹。養子は奥平昌蔭。初名は貞常。通称は藤之助、内匠、藤左衛門。

生涯

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寛保3年(1743年)2月19日、松山に生まれる。明和8年(1771年)、擬米200俵大名分となる。安永2年(1773年)9月13日、家老となり擬米300俵。安永3年(1774年)、父の死去により、家督と知行3500石を相続。安永6年(1777年)、軍用方を兼任。安永8年(1779年)8月、藩主松平定国家督相続の御礼言上の際に、江戸城で将軍徳川家治に拝謁する。天明8年(1788年)11月、江戸在府中の不行跡を理由に、家老を罷免され大名分となる。

寛政8年(1796年)10月8日死去。嗣子なく家名断絶。寛政9年(1797年)1月18日、代々功績のある家柄につき、家老吉田張奉の四男貞蔭に新知1200石で家名相続を許される。

参考文献

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  • 『松山叢談』