コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

宗像三女神

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
奥津島比売命から転送)
宗像三女神

神祇 国津神 (宗像大社、および京都の宗像神社などでは皇室の守り神、先祖神として「天津神」とする)
神階 道主貴
神格 交通安全、金運、芸能の神様
須佐之男命(誓約は婚姻ではないため父、母、とするのは不適当。「物實」としての神の子である)
天照大御神
神社 宗像大社厳島神社宇佐八幡宮大神祖神社石清水八幡宮鶴岡八幡宮
テンプレートを表示
アマテラスとスサノヲの誓約(『古事記』に基づく) SVGで表示(対応ブラウザのみ)

宗像三女神(むなかたさんじょしん)は、宗像大社福岡県宗像市)を総本宮として、日本全国各地に祀られている三柱の女神の総称である。記紀に於いてアマテラスとスサノオの誓約で生まれた女神らで宗像大神(むなかたのおおかみ)、道主貴(みちぬしのむち)とも呼ばれ、あらゆる「道」の最高神として航海安全交通安全などを祈願する神様として崇敬を集めている。

概要

[編集]

この三女神は、日本から大陸及び古代朝鮮半島への海上交通の平安を守護する神。海北道中の島々(沖津宮・沖ノ島、中津宮・筑前大島)と辺津宮・宗像田島に祀られ、大和朝廷によって古くから重視された神々。ムナカタの表記は、『記・紀』では胸形・胸肩・宗形の文字で表している。

アマテラスが国つくりの前(天孫降臨より以前)、「うけい」により生まれたこの三女神に対し「九州から半島、大陸へつながる海の道(海北道中)へ降りて、歴代の天皇を助けると共に歴代の天皇から篤い祭りを受けよ」と神勅を示した。このことから、三女神は現在のそれぞれの地に降臨し、祀されるようになった。これが宗像大社が祀る、沖津宮の「田心姫神タゴリヒメ)」、中津宮の「湍津姫神タギツヒメ)」、辺津宮の「市杵島姫神イチキシマヒメ)」である。古代、畿内から九州を経由し渡海した遣隋使遣唐使遣新羅使もこの海北道中の島々を目印としていた記録が宗像大社神宝館の説明にある。

この三女神はアマテラスとスサノヲの誓(うけい)の結果から生まれたという。スサノヲの邪心を疑ったアマテラスは彼の本心を確かめるために誓約する。スサノヲがたばさんでいる剣を天の真名井ですすぎ、口で噛みくだいてキリとして吐き出した。そうして生まれたという。娘たちに「あなたたち三神は、道中(みちなか)に降臨して天孫を助け奉り、天孫に祭(いつ)かれよ」と命じた。道中とは玄界灘である[1]

古事記』神代上巻に「この三柱の神は、胸形君等のもち拝(いつ)く三前(みまえ)の大神なり」とあり、元来は宗像氏(胸形氏)ら筑紫(九州北部)の海人族が古代より集団で祀る神であったとされる。海を隔てた大陸や半島との関係が緊密化(神功皇后による三韓征伐など)により土着神であった三神が4世紀以降、国家神として祭られるようになったとされる。

日本書紀』については、卷第一・神代上・第六段の「本文」とその「一書」で天照大神と素戔嗚尊の誓約の内容が多少異なる。最初の降臨地は、福岡県宗像地方東端の鞍手郡鞍手町六ヶ岳というで、筑紫国造の田道命の子孫、長田彦(小狭田彦)が、天照大神の神勅をうけて神籬を建てたのが祭祀の始まり。『宗像大菩薩御縁起「筑前国風土記逸文」』[2]『香月文書』[3]『六ケ岳神社記』[3]『福岡県神社誌』[4]など。天照大神が「汝三神(いましみはしらのかみ)、道の中に降りて居(ま)して天孫(あめみま)を助け奉(まつ)りて、天孫の為に祭られよ」との神勅を授けたと記されている。これは現代まで祭祀が続く御神名とその鎮座地が明確に記載される記述では、最も古い。

なお、第三の「一書」では、この三女神は先ず筑紫の宇佐嶋の御許山に降臨し宗像の島々に遷座されたとあり、宇佐神宮では本殿二之御殿に祀られ、この日本書紀の記述を神社年表の始まりとしている。八幡神比売大神である。

別称の「道主貴」の「ムチ」は「貴い神」を表す尊称とされ、神名に「ムチ」が附く神は道主貴のほかには大日孁貴(オホヒルメノムチ、天照大神)、大己貴命(オホナムチ、大国主)のわずかしか見られない[5]

化生した順

[編集]

『古事記』

[編集]

『古事記』では、化生した順に以下の三神としている。

この三社を総称して宗像三社と呼んでいる。

『日本書紀』

[編集]

『日本書紀』では以下のようになっている。

  • 本文
    • 沖津宮 - 田心姫(たごりひめ)
    • 中津宮 - 湍津姫(たぎつひめ)
    • 辺津宮 - 市杵嶋姫(いちきしまひめ)
  • 第一の一書
    • 沖津宮 - 瀛津嶋姫(おきつしまひめ)
    • 中津宮 - 湍津姫(たぎつひめ)
    • 辺津宮 - 田心姫(たごりひめ)
  • 第二の一書
    • 沖津宮 - 市杵嶋姫(いちきしまひめ)
    • 中津宮 - 田心姫(たごりひめ)
    • 辺津宮 - 湍津姫(たぎつひめ)
  • 第三の一書
    • 沖津宮 - 瀛津嶋姫(おきつしまひめ) 別名 市杵嶋姫(いちきしまひめ)
    • 中津宮 - 湍津姫(たぎつひめ)
    • 辺津宮 - 田霧姫(たぎりひめ)

玄界灘に浮かぶ沖ノ島世界文化遺産に登録され、島には沖津宮があり田心姫神を祀っている。島には古代祭祀遺構があり出土品は一括して国宝に指定されている(邊津宮にある宗像大社神宝館にて展示されている)。

宗像大社の社伝

[編集]

宗像大社の社伝では、以下のようになっている(三女神の神名や配列などに 古来、種々の変遷もあったが現在では以下のようになっている)。

  • 沖津宮 - 田心姫神(たごりひめ)
  • 中津宮 - 湍津姫神(たぎつひめ)
  • 辺津宮 - 市杵島姫神(いちきしまひめ)

宗像三女神を祭神とする全国の神社

[編集]

海の神・航海の神として信仰されている。宗像大社のほか各地の宗像神社・宮地嶽神社厳島神社八王子社天真名井社石神神社などで祀られている。八幡社比売大神としても宇佐神宮石清水八幡宮で祀られている。

宗像系の神社は日本で5番目に多いとされ、そのほとんどが大和及び伊勢、志摩から熊野灘、瀬戸内海を通って大陸へ行く経路に沿った所にある。なお、八王子神社五男三女神を祀る神社である。

神社一覧

[編集]

宗像大社 - 福岡県宗像市田島鎮座 総本社

厳島神社 - 全国各地

宗像三女神のうち、田心姫神を主祭神とする神社。

宗像三女神のうち、湍津姫神を主祭神とする神社。

宗像三女神のうち、市杵島姫神を主祭神とする神社。

宗像三女神のうち、多岐津姫命、市杵島姫命、田心姫神を主祭神とする神社。

  • 田嶋神社 - 佐賀県伊万里市波多津町畑津鎮座

市杵島姫神は中津島姫命の別名とされ大山咋神と供に主祭神とする神社。

市杵島姫神は鎌倉時代行勝上人により厳島神社から勧請され丹生都比売神社の主祭神のうち第四殿の祭神となった。

市杵島姫神は弁才天と同一視(本地垂迹)されることも多く、古くから弁才天を祀っていた神社では明治以降、市杵島姫神や宗像三女神を祀っている神社も多い。

脚注

[編集]
  1. ^ 藤原新也安部龍太郎『神の島 沖ノ島』(小学館 2013年)p.106.
  2. ^ 宗像大社所蔵
  3. ^ a b 鞍手町『鞍手町誌』1974年
  4. ^ 大日本神祇会福岡県支部 『福岡県神社誌』1944年
  5. ^ 次田潤『新版祝詞新講』p.506、戎光祥出版、2008年。

関連項目

[編集]