奥田眞啓
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奥田 眞啓(おくだ まさひろ、1912年12月26日[1] – 1949年4月8日[2])は日本の歴史学者。専門は日本中世史。
略歴
[編集]東京生まれ。関東大震災罹災のため一時、鹿児島県に転居[3]。1933年3月、府立高等学校 (旧制)を卒業[4]。同年4月に東京帝国大学文学部国史学科入学[5]、同期に井上清、磯貝正義、新城常三らがいる。卒業論文「鎌倉時代の武士と神社−特に其民族的信仰形態に就て」[6]をまとめて、1936年に卒業[7]。 その後、東京帝国大学史料編纂所勤務[8]。 日本中世における氏寺について、先駆的な研究を行った。
著作
[編集]- 奥田眞啓『武士団と神道』白揚社〈日本歴史文庫〉、1939年。doi:10.11501/1687154。
- 奥田眞啓『武士団と信仰』柏書房、1980年。NCID BN01708719。
参考文献
[編集]- 署名なし(著)、日本歴史地理学会(編)「彙報 各大学史学科卒業論文題目(一)」『歴史地理』第67巻第3号、地人書館、1936年、107頁。
- 東京大学 編『東京大学一覧 自昭和18年至昭和27年』東京大学出版会、1953年。全国書誌番号:53016002。
- 日本著作権協議会 編『著作權臺帳(第10版) 文化人名録 昭和37・38年版』日本著作権協議会、1963年、4569頁。 NCID BN01993455。
- 安田元久「解題」1980年。(奥田眞啓 1980, pp. 457–473)
脚注
[編集]- ^ 日本著作権協議会 1963
- ^ 東京大学 1953, p. 514
- ^ 安田元久 1980
- ^ 『府立高等学校一覧 昭和9年度』府立高等学校、1934年、126頁。NDLJP:1274995/74。
- ^ 『官報』第1931号、1933年6月10日、321頁、NDLJP:2958403/35。
- ^ 署名なし 1936
- ^ 東京帝国大学 編『東京帝国大学一覧 昭和11年度』東京帝国大学、1936年、530頁。NDLJP:1453465/275。
- ^ 『史料編纂所一覧 昭和12年5月』東京帝国大学文学部史料編纂所、1937年、38頁。NDLJP:1220481/27。