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奥脇太郎左衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

奥脇 太郎左衛門(おくわき たろうざえもん、? - 天和元年2月25日1681年4月13日))は、江戸時代前期の一揆指導者[1]

経歴・人物

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甲斐国都留郡新倉村の百姓[2]谷村藩秋元喬知の厳しい年貢の取立てに耐え兼ね、延宝9年(1681年)農民代表7名で江戸町奉行に直訴[1]。 訴えは認められず、磔となった秋山村関戸左近に続き他の5人と共に死罪に処された[2]昭和9年(1934年)、山梨県富士吉田市の大正寺に記念碑が建立されている[2]

脚注

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  1. ^ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『奥脇太郎左衛門』 - コトバンク
  2. ^ a b c 朝日日本歴史人物事典(朝日新聞社)『奥脇太郎左衛門』 - コトバンク