如意寺 (群馬県みなかみ町)
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如意寺 | |
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所在地 | 群馬県利根郡みなかみ町上津2578 |
位置 | 北緯36度40分07.3秒 東経138度58分39.4秒 / 北緯36.668694度 東経138.977611度座標: 北緯36度40分07.3秒 東経138度58分39.4秒 / 北緯36.668694度 東経138.977611度 |
山号 | 鳥越山 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 釈迦如来 |
創建年 | 室町時代中期 |
開基 | 如意姫 |
中興年 | 享禄4年(1531年) |
中興 | 行芝継善 |
文化財 | 上杉謙信の供養塔、如意寺の天井絵(以上、みなかみ町指定重要文化財) |
公式サイト | 如意寺 群馬県利根郡みなかみ町月夜野 |
法人番号 | 2070005007305 |
如意寺(にょいじ)は、群馬県利根郡みなかみ町にある曹洞宗の寺院。
歴史
[編集]室町時代中期、如意姫の開基である。如意姫は名胡桃城の城主「三郎景冬」の姉である。才色兼備の美女であり、京に赴き後宮に入った。そして後花園天皇の寵愛を受け、天皇の子を身籠ったが、女房(女官)らの嫉妬に耐えかねて、1458年(長禄2年)に帰郷し、男児を産んだ。皇子が誕生したことで、母の如意姫はたいそう喜んだが、1462年(寛正3年)に、3歳でこの世を去った。如意姫は出家して庵を結び、皇子の菩提を弔うことになった。これが当寺の由来である[1][2]。
1531年(享禄4年)、月夜野の玉泉寺第6世住職の行芝継善が当寺を中興した。行芝継善は曹洞宗の僧侶であり、当寺も曹洞宗の寺院となった[1][2]。
1944年(昭和19年)より、学童疎開の一環として、東京都板橋区の志村第三国民学校(現・板橋区立志村第三中学校)の児童を受け入れた[2]。
文化財
[編集]交通アクセス
[編集]- 路線バス黒岩八景停留所より徒歩35分。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 稲葉博 著『関東古社名刹の旅2(群馬・栃木・茨城編)』読売新聞社、1987年