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妙徳山古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
妙徳山古墳

石室開口部
所在地 兵庫県神崎郡福崎町東田原1891-1(字妙徳山)
位置 北緯34度57分35.70秒 東経134度46分19.80秒 / 北緯34.9599167度 東経134.7721667度 / 34.9599167; 134.7721667座標: 北緯34度57分35.70秒 東経134度46分19.80秒 / 北緯34.9599167度 東経134.7721667度 / 34.9599167; 134.7721667
形状 円墳
規模 直径35m
高さ6m
埋葬施設 片袖式横穴式石室
出土品 刀子・須恵器
築造時期 6世紀
史跡 兵庫県指定史跡「妙徳山古墳」
地図
妙徳山古墳の位置(兵庫県内)
妙徳山古墳
妙徳山古墳
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妙徳山古墳(みょうとくさんこふん)は、兵庫県神崎郡福崎町東田原にある古墳。形状は円墳。兵庫県指定史跡に指定されている。

概要

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兵庫県南部、市川東岸の妙徳山山麓に築造された古墳である。現在は妙徳山神積寺のそばに位置する。これまでに発掘調査は実施されていない。

墳形は円形で、直径35メートル・高さ6メートル以上を測る[1]。墳丘は2段築成[2]。埋葬施設は片袖式の横穴式石室で、南方向に開口する。石室全長12.4メートルを測る大型石室であり、石室の石材には巨石が使用される。石室内からは刀子・須恵器片が採集されている[1]

築造時期は、古墳時代後期の6世紀末頃と推定される[1]。石室は神崎郡域では最大級の規模であり、神崎郡・市川流域における代表的な古墳として注目される古墳になる[1]

古墳域は2020年令和2年)に兵庫県指定史跡に指定されている[3]

遺跡歴

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埋葬施設

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石室俯瞰図
石室展開図

埋葬施設としては片袖式横穴式石室が構築されており、南方向に開口する。石室の規模は次の通り[2][1]

  • 石室全長:12.4メートル
  • 玄室:長さ6メートル、現在高さ約3.2メートル
  • 羨道:長さ約6.4メートル、現在高さ約2.4メートル

石室内には土砂が流れ込んでいるため、石室の正確な高さは明らかでない[1]。玄門には柱石を立てる[4]

周辺

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  • 東広畑古墳(福崎町西田原字東広畑)
    福崎町指定史跡。後世に墳丘封土は失われているほか、1993年度(平成5年度)に発掘調査が実施されている。
    円墳で、直径約16メートルを測る。埋葬施設は無袖式横穴式石室で、全長約10.4メートルを測り、西方向に開口する(西広畑遺跡を意識か)。石室内部には加西市の高室石製の組合式石棺が据えられる。石室内からは副葬品として耳環・勾玉・鉄製品(刀・馬具・鉄鏃など)・須恵器が検出されている。築造時期は古墳時代後期の6世紀末-7世紀初頭頃と推定される[5][6]
  • 東新田古墳(福崎町西田原字東新田)
    福崎町指定史跡。通称「つぶれ塚」。1993年度(平成5年度)、2001-2002年度(平成13-14年度)に発掘調査が実施されている。
    円墳で、直径約16メートルを測る。埋葬施設は無袖式横穴式石室で、西方向に開口し、現在は天井石を欠失する。石室内からは銀象嵌を有する大刀2・馬具2組などの鉄器230点以上、土器100点以上の豊富な副葬品が検出されている。築造時期は古墳時代後期の6世紀後半頃と推定される[7][8]

文化財

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兵庫県指定文化財

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  • 史跡
    • 妙徳山古墳 - 所有者は神積寺。2020年(令和2年)3月13日指定[3]

脚注

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  1. ^ a b c d e f 史跡説明板。
  2. ^ a b 妙徳山古墳(県指定史跡)(福崎町ホームページ)。
  3. ^ a b c 令和2年3月13日兵庫県公報 (PDF) より兵庫県教育委員会告示第2号(リンクは兵庫県ホームページ)。
  4. ^ 妙徳山古墳(平凡社) 1999.
  5. ^ 東広畑古墳(町指定史跡)(福崎町ホームページ)。
  6. ^ 東広畑古墳 史跡説明板。
  7. ^ 東新田古墳(町指定史跡)(福崎町ホームページ)。
  8. ^ 東新田古墳 史跡説明板。

参考文献

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(記事執筆に使用した文献)

関連文献

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(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 『東広畑古墳1』福崎町教育委員会〈福崎町埋蔵文化財調査報告書13〉、2015年。 

関連項目

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外部リンク

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