妙義神社
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妙義神社 | |
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本殿・幣殿・拝殿 | |
所在地 | 群馬県富岡市妙義町妙義6番地 |
位置 | 北緯36度18分1.7秒 東経138度45分44.6秒 / 北緯36.300472度 東経138.762389度座標: 北緯36度18分1.7秒 東経138度45分44.6秒 / 北緯36.300472度 東経138.762389度 |
主祭神 |
日本武尊 豊受大神 菅原道真公 権大納言長親卿 |
社格等 | 旧県社 |
創建 | 宣化天皇2年(537年) |
本殿の様式 | 権現造 |
地図 |
妙義神社(みょうぎじんじゃ)は、群馬県富岡市にある神社である。旧社格は県社。
概要
[編集]上毛三山の一つである妙義山の東麓に鎮座し、妙義山信仰の中心となっている神社である。江戸時代は関東平野の北西に位置し、江戸の乾(戌亥)天門の鎮めとして、家運永久子孫繁昌を願って歴代の徳川将軍家に深く信仰された。
近年は、たびたび大河ドラマのロケ地として使用されている。総門をくぐると銅鳥居で、その先に165段の石段があるが、ここは、2005年の『義経』で、牛若丸が修行する鞍馬寺という設定でロケ地になった。また、2009年の『天地人』においても、雲洞庵のシーン撮影は当社で行われた。
2007年の台風による土砂崩れで一部被害が出たため修復が必要となり、本殿につながる階段以降は立ち入り禁止となった際は、波己曽社殿を仮殿と定めていた。復旧工事は2013年12月に完了し、本殿も5年ぶりに一般公開された。
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県道脇に建つ大鳥居
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唐門へ至る石段
歴史
[編集]神仏習合時代、妙義神社には別当(神社を管理する寺)として上野寛永寺の末寺である白雲山高顕院石塔寺があった。現在の妙義神社の総門は、明治の初めに廃寺となった石塔寺の仁王門である。神社の総門となった現在も、左右に仁王像が祀られている[1]。
現在の社殿は、宝暦年間(1751年 - 1764年)の大改修によるものである。古くは波己曽(はこそ)神社といい、『日本三代実録』に記載がある。
文化財
[編集]重要文化財
[編集]- 妙義神社 7棟 - 昭和56年(1981年)6月5日、本殿・幣殿・拝殿・唐門・総門の指定。令和6年(2024年)12月9日、随神門・廻廊・銅鳥居・御殿(附棟札2枚)・社務所・附波己曾社本殿及び拝殿・附棟札2枚の追加指定[2]。
- 本殿・幣殿・拝殿(附 神饌所1棟、透塀1棟、棟札1枚、銘札1枚、旧屋根銅瓦1枚)
- 江戸時代後期(1756年)の建立。本殿、桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造。幣殿、桁行三間、梁間一間、一重、両下造。拝殿、桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝一間、軒唐破風。。
- 唐門 - 江戸時代後期(1756年)の建立。桁行一間、梁間一間、平唐門、銅瓦葺。
- 随神門
- 廻堂
- 銅鳥居
- 御殿(附 棟札2枚)
- 社務所
- 総門 - 旧白雲山石塔寺の仁王門。江戸時代後期(1773年)の建立。三間一戸八脚門、切妻造、銅板葺。
- 附指定:波己曾社本殿及び拝殿1棟、棟札2枚
- 本殿・幣殿・拝殿(附 神饌所1棟、透塀1棟、棟札1枚、銘札1枚、旧屋根銅瓦1枚)
- 紙本著色地蔵菩薩霊験記(東京国立博物館に寄託) - 南北朝時代の作品。昭和34年(1959年)6月27日指定。
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唐門
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総門
出典
[編集]- ^ “妙義神社総門(旧白雲山石塔寺仁王門)”. ニッポン旅マガジン. 2020年8月2日閲覧。
- ^ 令和6年12月9日文部科学省告示第169号。